2018-01-01から1年間の記事一覧
1985年5月11日、アメリカ・ショー神学校の名誉博士号授与式に文鮮明先生の代理で参席されて語られたごあいさつ ご来賓の紳士淑女の皆様、スミス博士、ペイジ博士、そしてショー神学校ならびにショー大学の教授の皆様方。 本日、皆様方が私(韓鶴子女…
この世を眺めるとき、頭脳の優れた知的な人、権力や力を誇る人、また経済的な力のある人を、無視することはできないものです。この三分野の力が世界を支配していると見ることができるでしょう。そしてこの縮小体が3人であり、さらに私一個人に集約すること…
1984年10月24日、ニューヨーク、イースト・ガーデンで行われた第25回「子女の日」記念礼拝で韓鶴子女史が語られたみ言 「子女の日」に思うこと 韓国の昔の言葉に、「父母がいる時は父母の有り難みが分からず、父母が既に世を去ってから、孝行でき…
1984年11月15日、アルゼンチンのラプラタ・カトリック大学が国連本部内で文鮮明先生に名誉博士号を授与した。以下は、この授与式において文先生の代理として学位を受けられた真のお母様(韓鶴子女史)のごあいさつ 文牧師の妻として、私は、私の子女…
1984年10月10日、ニュ―ヨーク、イースト・ガーデンを訪問した日本食口(メンバー)の父母たちに語られた歓迎のことば 日本を先頭に立てた神様の摂理 私(韓鶴子女史)が皆様に申し上げたいのは、外的な日本ではなく、内的な日本についてです。今、神…
1984年9月2日、アメリカ・ワシントンDCのマリオット・ホテルで開催された第13回「科学の統一に関する国際会議」開会式でのあいさつのことば 大会議長、著名なる学者の皆様、そして紳士淑女の皆様。私(韓鶴子女史)は皆様がこの第13回「科学の統…
追害の中でみ旨を成就するお父様 お父様(文鮮明先生)の路程を皆さんはよく御存じです。お父様は崇敬されるために来られました。もし世の人々が既にお父様を受け入れていたなら、お父様の路程は今日とは全く違う形で展開されたでしょう。ところが、お父様は…
1984年7月31日、ニューヨーク、ベルベディアで開かれた指導者会議の席上で語られたみ言 感謝する生活をしよう 皆さんが今まで熱心に仕事をしてこられたことを私(韓鶴子総裁)は知っています。お父様(文鮮明先生)は次に備えた目標と計画に対する指…
苦難の道に神様が役事されて 一夜を過ごされたのですが、その中に一緒にいる人たちがレバレンド・ムーンに非常に積極的で協力的であると報告されたようです。一つの部屋に4、50人がいるので、みんなが良いとは言えませんが……。ですから、私たちが精誠を多…
お父様からかえって慰めを受ける 私(韓鶴子女史)は、非常にせっかちです。一瞬一瞬が本当に惜しい時間なのですが、このように集いをもつということは、ある面において必要でもあります。この集いが終わったら、皆さんはさらに熱心に走ってください。 皆さ…
召命を受けられたお父様 簡単に申し上げます。ヤハウェの神が歴史をたどってこられ、イスラエル民族の中でユダヤ教を立てたということは、来たるべきメシヤ(救世主)を迎えて、この方によく侍り(仕え)、神様の世界的な摂理のみ旨を成就してくれることを願…
1984年7月22日、米ニューヨーク、イースト・ガーデンで行われた聖日の夜の説教。7月21日、ダンベリー刑務所(米コネティカット州)に面会に行ってこられた内容を中心として、ニューヨーク地区の中心メンバーに語られたもの 従順に従うことが妻の伝…
受け持った仕事を完遂することが孝行の道 特に皆さんが受け持った仕事に忠実で、大きく偉大な実績をたくさん積まれるようお願いいたします。全員がお父様(文鮮明先生)のための祈祷時間を定めて実施していますが、本当は長男と一緒に断食祈祷をしたかったの…
囚人番号をつけられたお父様 そこに入所すると、1週間はオリエンテーションを受けるそうです。ところで他の人たち、入所して何カ月か経つ人たちを見ると、囚人番号がありません。ズボンの後ろのほうに番号があるのですが、頻繁に洗濯をするので、消えてしま…
お父様と苦難を共にした子女たち しばらくして、私たちに来るように言いました。お父様(文鮮明先生)のために1人の息子が霊界で積極的に保護してくれていることを考えると、少しは安心しました。またお父様は、今イースト・ガーデンにいらっしゃらないので…
1984年7月21日、お父様(文鮮明先生)がダンベリー刑務所に発たれた翌日、ニューヨーク郊外のイースト・ガーデンで語られたみ言 刑務所の面会室でお会いしたお父様 出発される最後の瞬間まで、幹部や食口(教会員)たち全体を集めて語られたお父様の…
孝行の道 事故の状況から見ると、興進は事故が起きたその場で亡くなるしかなかったのですが、10日以上も命を延ばしたのは、お父様(文鮮明先生)の祈祷と兄弟たちの切なる祈祷、皆さんの精誠と祝福を一身に受けていたからでした。私にその時一つ希望があっ…
お父様の苦難の道を代わりに行った興進 事故直後、昏睡状態にある時に、その興進の霊が韓国のある人のところに来て「私はお父様の代わりに行く」ということを言ったそうです。その時、その食口が興進に「行かれてはなりません。どうか行かないでください」と…
1984年1月3日、ニューヨーク、ベルベディア修練所で 神の摂理とお父様の身辺 興進(二男)の事故のニュースを聞いて、よく知っておられると思いますが、その間、皆さんが誰よりも精誠を込めた祈祷の祭壇を築いてくださったことに対して、母親として心…
1981年11月12日、韓国、ロッテ・ホテルで開催される第10回「科学の統一に関する国際会議」に参席するために訪韓した、世界の学者の夫人たちを招請した晩餐会の席上で語られた歓迎の辞 世界で最も平和を愛する韓国人 皆様、東洋にある私どもの国に…
ある時、姉妹が彼をしかったら、亨進は納得できない叱責に抗議して、「それはお姉さんが間違っています」と言いながら、間違った点を指摘して説明し、そのお姉さんが自分の誤りを認めるまで寝床に入らなかったそうです。お父様や私が、亨進にそうするように…
常に伝統を守る真の家庭 真の家庭(文鮮明先生・韓鶴子総裁の家庭)として私たちは、家庭の伝統を守ります。例えば、誕生日のお祝いのような場では常に、お父様がまずスプーンを取られ、口にされてから食事が始まります。それから子供たちが年の大きい順に食…
1986年5月11日、東京教会での夕食会で語られたみ言 私(韓鶴子総裁)は、子供たちのことを考えると、かわいそうな思いがします。それは、子供たちがいつも父母と離れて暮らしているからです。普通の家庭でしたら、父親か母親のどちらかが常に子供たち…
天国創建への希望担う二世 先ほど小山田さんも、二世の祝福について話しましたが、本当に私たちの未来には力強いものを感じます。今まで私たちが歩んできた歴史、荒野40年路程において、カナン定着時代を前にして、今が最も準備にいそしむ時ではないでしょ…
1986年5月11日 血と涙の道を越えて お会いできて本当にうれしく思います。先ほど、小山田秀生副会長(当時)が「母の日」について話をし、その中で、「母の日」にこのようにお母様(韓鶴子総裁)を迎えられたことに対して、本当にうれしいという話を…
1983年3月13日、東京教会で行われた来日歓迎式で語られたみ言ことば 皆さんの苦労は父母を慰める孝行の道 お会いできてうれしく思います。到着してこの新しい本部教会の建物に入った時、限りない感激にひたりました。私(韓鶴子総裁)一人が来るので…
1967年8月3日、東京教会 神のみ旨を相続しよう 皆さん、心から神様が信じてすべてを任せることができ、神のみ旨を相続することのできる子女となってくださるようお願いいたします。この世の学問を修めるということは、何事にも実力を向上させることで…
私(韓鶴子女史)がなぜこの話をするかと言いますと、この話から一つの重大な教訓を学ぶことができるからです。多くの人々が天の前に誓いをなし、約束をします。また、皆さんも、父母様の前に多くの約束をしたのです。ところが、いつも天の前に約束した基準…
次に、趙ハルモニについて述べてみたいと思います。当時は、李氏王朝時代だったのですが、趙ハルモニが誕生された所は、平安北道の定州でした。お父様の御生誕地は上思里でしたが、お祖母さんの生まれた所はそこから少し離れた「ウィケンメ」という村です。…
1991年9月23日、札幌グランド・ホテルで、北海道の食口たちに語られたみ言 皆さん、父母様にとてもお目にかかりたかったでしょう? 私が誰か分かりますか。先ほど廊下を過ぎてきた時、祝福家庭の4、5歳くらいの子供たちに会ったのですが、あの子供…