韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

日本の使命(1)-韓鶴子女史が東京教会で語られたみ言

1986年5月11日

血と涙の道を越えて

 お会いできて本当にうれしく思います。先ほど、小山田秀生副会長(当時)が「母の日」について話をし、その中で、「母の日」にこのようにお母様(韓鶴子総裁)を迎えられたことに対して、本当にうれしいという話をされました。このように壇上に立つたびに、神様と皆様の前に済まない感じがいたします。

 この世においても父と子供よりは、母と子供の間の方がもっと近いと思うとき、母が使う言葉と子供の使う言葉が違うということを考え、過去に何か間違いがなかったかと思います。皆さんをしかる前に、身近に通じ合うことができず、通訳を立てて意思を伝えなければならないことが切ないです。どうせ、統一教会の人の使命は天が願っておられる母国語を学ばなければならないのですから、特に他の国に比べて日本は、まず母親の立場を立ててくださることにより、発奮して、韓国語が分かるようになれば、本当に良いと思います。

 今、私たちは21世紀に向かって歩んでおります。情報面において、日本は、経済産業分野においても、先端を歩んでいると思いますし、また、私たちの摂理的み旨の中においても、最も情報が早いのが日本ではないかと思われます。そのため、イースト・ガーデンでなされることや韓国内においてなされることが、1時間以内に伝達され、実践されているのが日本ではないかと思います。

 そういう点で、ある面においては、皆さんの方が私よりも多くみ言について知っているし、また実践されていると思います。

 お父様がダンベリー(刑務所)で世界的な勝利をされたあと、韓国に来られて満5カ月が過ぎました。その中において、多くの役事をされたことについては、皆さんがよく知っておられると信じています。韓国は、摂理的な面においても、また外的な面においても、最も困難を受けている時であると思います。

 遡って考えると、神様がイスラエル民族を立てたのは、終わりの日に御自分のひとり子を送り、それを彼らが迎え入れることによって、世界を一気に復帰なさろうとした、大きなみ旨であったことを、皆さんは原理を通してよく知っておられます。迎え入れるべき民が侍れなかった(仕えられなかった)ために、イエス様の十字架以後、数千年にわたってキリスト教を立てて、これまで摂理してこられた神様の血と涙の歴史は、神様がキリスト教を通じて御自分の願っておられるみ旨を一時に成就するために準備してこられた歴史であったということを、私たちはよく知っています。

 お父様(文鮮明先生)が役事をなさるその時は、韓国においても混乱期でした。第2次大戦直後でした。その時、神様がキリスト教を中心として役事できる土台を備えましたけれども、キリスト教の人々が迎え入れることができなかったがゆえに、再び十字架の路程のように、底の底から出発せざるを得なかった私たちの歴史を、皆さんはよく知っておられます。

 このように、人間の不信によって悲惨な歴史を繰り返しながら、今日において、お父様を中心とした統一教会が底の底から今のこの段階に上がってくるまでには、「お父様!」と言うだけで痛哭してしまうような心情を、皆さんは体恤(身に付ける)されるでしょう。数知れないほどに不信し、不忠する人間たちを教化し、整えて、み旨を悟って行動できるようにするまでの血と涙の道を、どうして一言で表現することができましょうか。心情と心情のみが通ずるそのような内容があることを、皆さんはよく知っていると思います。

 ダンベリーの13カ月間(収監)における、言うに言えない御苦労は、いま一度父母の立場として世界の前に許し、愛で抱かれるそのような手本の生活であったことを、皆さんは知っておられます。神様は愛で人間に接してこられながら、常に打たれて奪ってくる愛の作戦をされるということを、私たちは聞いて知っています。歴史始まって以来、自ら愛の化身体となって実践し、行動される方が、どこにいらっしゃるでしょうか。ですから、神様でさえ感動せざるを得ないし、いくら邪悪な世であるとしても、その愛に溶けてしまうしかない、そのような実情を私たちは目の当たりにいたしました。

 帰国後、5カ月間においてお父様がなさったことは、最高の知識層の教授たちをはじめとして、全国的な勝共連合の全体の班支部長に至るまでの教育でした。神様を中心とした真の父母の真の愛が全国にこだましています。ただこの真の愛こそが、人類の希望であるとおっしゃいました。自分個人においても、真の愛を中心としてのみ心と体が一つになり、また家庭においてももちろん、夫と妻が真の愛を中心としてのみ一つになり、家族が真の愛を中心としてのみ一つになり、さらに民族と国家と世界が真の愛を中心としてのみ一つになれる道であるということを、5カ月間、力説されました。

 韓国はもちろん、アメリカも、今や「レバレンド・ムーン」(文鮮明師)といえば真の父母と認められているのを、私たちは見ることができたのです。これから計画していることがあって、済州島に数回お供して行ったことがありますが、初めて行くホテルであったのに、そこの従業員たちには、みんな、お父様、お母様として通じるのです。私は、最初は彼らが食口(家族=教会メンバーを指す)ではないだろうかと疑ったほどに一般国民に至るまで、私たちの思想が広がっているということを、はっきり見ることができました。

 皆さんが知っておられるかどうかは分かりませんが、最近、恩進(三女)の結婚を前後して、女性雑誌に私が紹介されたのです。そこの題目に私の名前が出て、「聖なる母」であるというのですが、今や母ということで全部通ずるようになったのです。「民の心が天の心に通ずる」という言葉があるでしょう? その言葉のごとくに世界が方向を失った主人のいない船のような立場から、主人に出会って方向をはっきり見定めることができるという確信をもった、という意味ではないかと思われます。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より