韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

内外が一つになって責任を完遂しよう(2)

追害の中でみ旨を成就するお父様

 お父様(文鮮明先生)の路程を皆さんはよく御存じです。お父様は崇敬されるために来られました。もし世の人々が既にお父様を受け入れていたなら、お父様の路程は今日とは全く違う形で展開されたでしょう。ところが、お父様は世の人々から反対を受けながら、寂しい苦難の路程を歩んでこられたのです。

 しかし、いかなる反対と迫害があっても確実なことは、お父様は神様のみ旨を成就してこられたということです。お父様はいつでも天の父のみ旨のためにすべてを投入しながら、微塵も退かなかったのです。

 皆さんは先輩の証を聞いて、お父様が過去に歩まれた路程をすべて知っておられます。言うならば、誰にも負債を負わず、却って他の人々の負債を負いながら生きてこられました。そして、いつでも他の人のために生きてこられたのです。

 お父様がダンベリーに行かれる時、私はお父様が心の中で悲壮な決意をされるのを感じました。もし人々が自分の責任分担をよく履行したならば、お父様はこのように難しく困難な道を歩んでこられなかったでしょう。反対と苦難の道の代わりに、勝利者としての栄光の道があったことでしょう。しかしお父様は、言葉で言い表せないほどの苦難の道を歩んでこられました。いったんその道が「運命の道」であると思われたら、常に御自分のことは忘れて神様を慰め、その状況の中でも最善の道を通じて神様に喜びを捧げながら、生きてこられました。

 ダンベリーにお父様が収監されておられる間、私は何度かお会いしに行きました。前回の指導者会議の時、皆さんも聞かれたように、お父様は、「この40日の間にわれわれは奇跡を起こさなければならない」と言われました。

 お父様は面会に行く私と子供たちを慰め、勇気を与えるために、神経をつかわれます。お父様は私たちに「私の生活は心配するな。断食や祈祷より、ずっと楽だから」と言われました。

 お父様はまた、私に言われました。「2000年前、イエス様は一人でカルバリ山を越えていかれた。その時は、誰の助けもなく、理解もない中で、一人で行かれた。甚だしくは、弟子たちからの同情もなかったのだ。今、私には多くの支持者があり、宗教指導者たちがおり、世界至る所に理解してくれる正義の勇士たちがいる。だからレバレンド・ムーンは一人ではない」と話されながら、私たちを安心させてくださいました。

 また、次のようなことも言われました。「私の監禁によって、長い間の念願だった統一が可能となり、2000年が過ぎた今、それが成されようとしている」ということです。皆さんも御存じのように、お父様は何年間も、私たちに「世界復帰のために何万もの指導者が必要である」と繰り返しおっしゃいました。しかし、残念ながら私たちは、そうすることができませんでした。お父様は、「今がその時だ。アメリカの牧師たちを通してその数を復帰する時である」と言われました。

統一世界を開こう

 私は、皆さんがワシントンでの大会(宗教の自由ぺージェント)の結果を通して、その目的を達成できるという自信を持ったことと思います。今日の会議の目的は、ワシントンの大会の勝利をアメリカの復帰のための国家的次元に高めようということです。

 ここまでのみ言の内容は、お父様のメッセージを伝えたにすぎません。そのためにまずなさなければならないことは、40日間の一情祈祷会を通じて、勝利の40日になるようにすることだと知らなければなりません。お父様は、モーセの立場で山(ダンベリー刑務所=モーセが登ったシナイ山を象徴)に行かれました。群衆を導く立場に立っておられるのです。みんなが一つになって堅固な信仰を見せなければなりません。特に今は、イースト・ガーデン(ニューヨーク郊外にある公邸)の真の家庭(文師・韓総裁夫妻の家族)を中心としてすべての祝福家庭(神の祝福を受けて結婚したカップル)が一つになることが、内的統一なのです。外的統一は、私たちがすべての宗教団体と一つになることです。

 イースト・ガーデンでは、4組の家庭が祝福を受け(結婚し)ました。この4組の真の家庭は、順番に毎晩熱心に祈祷しています。

 モーセが山に入っている間、アロンとミリアムは自分が受け持った使命と目的を達成するために、後に残りました。それで郭錠煥牧師と朴普煕総裁は、真の父母と一つになって、背後で働いておられます。それがどれほど重要なことであるか、知っておられるでしょう。現時点において、私たちの活動の先輩である金元弼先生と郭牧師と朴総裁が教会活動を指導するに際して、内的にも外的にも完全に一つにならなければなりません。これがお父様が指示された最初のみ言です。言い換えれば、「内外が一つになって責任を完遂しなさい」ということなのです。以上です。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より