韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

人間の行くべき生涯路程⑥

人生が行くべき最高の道

 堕落とは、悪魔の愛を中心とし、悪魔の生命体と血筋を受け継いだことです。偽りの父母から生まれたのです。ですから、この血筋を改造しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に改造しなければならないのです。そうするためには、接ぎ木をして3代以上経て、そこで結ばれる実が真のオリーブの木になって、本然の基準を身代わりするようになるのです。その時、初めて堕落した人間が本然の人間に復帰されるのです。そしてその時、救いの摂理の完成がなされるのです。

 このように神様と一致した愛を中心として、善なる父母の息子、娘にするために、神様がこの地上に救世主を真の父母として送るのです。救世主は、人類の血統を清め、本然の創造理想を実現するために来られるお方です。

 私たち人間は、誰でも最高になりたいし、神様の息子、娘になって、神様の王子、王女として王権を受け継ぐことのできる相続者になりたいという本然の欲望があります。しかし、他の血筋を受け継いだがゆえに、生まれながらも嘆かわしく、生きながらも嘆かわしく、死にながらも嘆かわしいのです。「人生は苦海だ」という言葉がここから出てきたのです。

 ですから自分の体と心の闘いをどのように中止させ、一つに統一させるかという問題が重要です。自分の体と心を一つにできなければ、南北統一も、世界統一も、そして霊界統一も自分とは何ら関係がなくなります。主体と対象は対応的な関係を結んだのちには、より大きいものを中心として一つにならなければなりません。男性と女性が対応して一つになったあと、より大きいプラスやマイナスになって、国の前に忠臣にならなければなりません。そして、これが再びプラスやマイナスとして世界的次元で聖人の道理に接ぎ木されなければならず、聖人の道理が再びプラスやマイナスになって、天の道理に接ぎ木されなければなりません。そのように聖子の道理を備えたのちにこそ、神様に接ぎ木することができるのです。

 ところが私たちは、発展を願い、大きいものを願い、高いものを願うというこのような原則において、自分が行くべき道が運命的に横たわっているにもかかわらず、その道を知らずにいます。本然的な天道の動きに対する対応的な反射として自分の心の欲望は作用していますが、その成就の道を知らずにいるために、人生が塗炭の苦しみの中で呻吟しんぎんしているのです。これを探すことができないがゆえに、世の終わりの日になれば、自分の生命を絶ってでもその道を探すために、自殺がだんだん増えていくのです。私たちは、何としてもこれを克服する道を求めなければなりません。

 人類は、世界の舞台で1番となることを願う前に、まず本然的アダムとエバの家庭で一番になるべきです。アダムとエバが神様の前に直系の王子と王女の立場を備えるようになれば、彼らは男性として最高であり、女性として最高になるのです。

 しかし彼らが堕落したことによって、彼らが占めるべき長子権の王子、長子権の王女の立場を失ったのです。これが人類歴史に恨として残りました。それで人類は、神様の愛を再び探そうと、最初の息子と最初の娘の立場を探していく人生の道を歩んできたのです。


韓鶴子総裁講演集」より

人間の行くべき生涯路程⑤

回復すべき神様と人間の本然の関係

 御来場の皆様! 今日、ひと時を生きていく私たちの人生の道というものは、平坦
へいたんな道ではありません。それは人間が堕落したからです。私たち人間は、堕落の因縁をもって生まれたがゆえに、その堕落によって生じた怨恨の過程を、どうせ、いつかは乗り越えなければならない運命をもって生まれました。数千、数万年の歴史過程を経ても、それを越えなければ、その恨(ハン)の道は、私たちの前に永遠に残るようになるのです。

 エデンの園でアダムとエバが堕落したその瞬間から、私たち人間は不幸の要件をもって出発しました。ですから、人類が幸福の世界に戻るためには、必ず不幸の世界を退けて進まなければなりません。そうでなくては、誰も幸福な世界に戻ることができません。人類始祖が堕落したことによって、人間だけが不幸になったのではなく、神様までも共に不幸になりました。

 私たち人間が生涯を捧げて生きていく一つの目的は、理想世界の実現だけではありません。それよりまず、生命の根源であられる神様の積もりに積もった悲しみと悲痛さを、どのように打開するかということが、私たちの生涯の目的です。したがって人類が幸福な所を訪ねるとき、神様も幸福になるのです。このように神様や人間は、同じ立場に立って一つの目的を指向して、歴史過程を経ながら今まで歩んできました。神様は、アダムとエバを失うことによって、険しい道のうちで最も険しく、世の中の誰も願わない、また行きたがらない道を歩んでこられたのです。人間も、やはり堕落で残った、この避けることのできない運命の道を、救いの1日を願ってやって来たのです。

 神様に対して人間は、「その方の息子、娘になりたい」ということが最高の願いです。なぜなら、父母と最も近い立場は親子関係であるからです。「私」という人は、父母の愛と生命が集中したところ、父母の理想を代表した立場に生まれました。ところが「愛」とか「理想」とかいう言葉は、1人について言う言葉ではありません。「生命」も1人で独断的に出てくるのではなく、連結された立場で出てくるのです。したがって、神様が人をお造りになるとき、神様の愛と生命と理想の対象として造られたのです。これは、驚くべき偉大なことです。

 自分がいなければ、父母の愛は現れることができません。父母の愛と生命と理想は、自分と共に関係しているのです。自分は、父母の愛と生命と理想の結実体です。ですから息子の立場は、最高に価値のある立場です。神様と人類は、親子の関係であるからです。父母と自分が一つのところから共に出発したという事実は、驚くべきことです。父母の愛は自分の愛であり、父母の生命は自分の生命であり、父母の理想は自分の理想として決定づけることができるのです。ですから父母は、子女を見つめるとき、「これは自分の愛する息子、娘だ」と言います。これは自分の愛と、自分の生命と、自分の理想の実体だということを父母は感じて悟り、知っています。愛する息子、娘は1日だけ会わなくても、会いたいし、今見ても、またすぐ見たいというようなものなのです。それは、どんなに離そうとしても離すことができない、骨の中の骨であり、肉の中の肉です。いなければ死んでしまうくらい、そこにはすべての理想がかかっているのです。

 今日、堕落によって真なる愛と、真なる生命と、真なる理想をもたない人間世界に生まれた父母も、そのように子供を愛することができるのに、そのような父母の主体であられる神様は、それよりもっと愛するというのです。

 本来、堕落前のアダムとエバは、神様の直系の息子、娘として神様の血筋を引く者です。アダムとエバは、天上天国と地上天国を受け継ぐことのできる王子、王女だったのです。王子、王女であると同時に、無形の神様であられ、主体であられる神様の前に対象として造られた存在であるがゆえに、神様の前に愛を受けることのできる実体であり、無形の神様が実体として顕現したものです。

 神様の息子の特権は、その方は自分のものであり、その方がもっているすべても自分のものだというものです。神様の愛までも、生命までも、理想までも自分のものです。このように驚くべき偉大な本然の価値を、人間は再び回復しなければなりません。

 したがって、神様が主体的愛で永生するなら、その愛の相対も永生しなければなりません。神様の愛と一つになれば、神様が自分になるのです。堕落していないアダムとエバの体は、神様が住むことのできる家です。アダムとエバが神様を心の中心として真の愛で永遠に統一された愛の体、生命体、血統体になっていたならば、今日私たちの心と体は闘いません。


韓鶴子総裁講演集」より

人間の行くべき生涯路程④

家庭を中心として人生が行くべき真の愛の道

 したがって、人生行路は旅のような道ですが、ここで備えるべきことは縦横の愛を体恤していくことです。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を築いたのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を広げておかなければなりません。

 そして彼らが縦横を連結させることのできる真の家庭の形態を成し、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏でもって神様と連結されるようになるとき、真の愛で連結されたその世界を天国というのです。夫婦が愛するということは、神様を植えることです。本来父母は、本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は、互いに他の一方の神様になります。そして息子、娘は、また一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体であられるので、真の愛と連結されればみな同じ体になります。父母は神様の身代わりの生きている神様であり、夫婦も神様を身代わりし、子女も神様を身代わりするのです。このように、3代が真の愛を中心として神様の立場を身代わりするのです。

 それゆえに、父母も、夫婦も、そして子女も真の愛を必要とするのです。このように、真の愛を中心に成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を成さずには、天国は実現しません。これが公式です。家庭とは、すべての宇宙の現実世界の中心です。今日、人々は、自分の家庭が国と世界と宇宙を代表した家庭であることを知らずにいます。中心としての家庭であるということを知らずにいるのです。ですから家庭を破綻させることは、国と、世界と、宇宙に対する反抗になります。

 家庭完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。この場合、神様は、宇宙全体の父母として愛の複合的な中心の立場にいらっしゃいます。真の愛を中心として男性と女性が一つになり、理想的な夫婦となり、家庭を築けば、彼らは、神様を身代わりする立場に立つようになり、宇宙のすべてに連結されます。そうなる時、神様のすべてが自分のものになるのです。どれほど幸福な立場でしょうか。ですから私たちは、万物を征服したい気持ちになるのです。

 男性と女性が合わさって家庭と社会と国家、そして世界を築くがゆえに、男女が中心になって築いた家庭は、氏族のモデルにならなければならず、氏族は、国家のモデルにならなければならないのです。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭と氏族と国を復帰していくことです。

 したがって、理想的な国が出てくるためには理想的な家庭がなくてはなりません。3時代の人生において絶対必要なものは真の愛尊敬する御来場の皆様! 真の愛が偉大な理由は、真の愛で神様の対象になることができるし、神様も自分自身になることができるからです。聖書にも「神様が自分の中にあり、イエスが自分の中にある」という内容があります。父が息子の中に、孫がおじいさんの中に、おじいさんが孫の中にあるという言葉は、ここから生じた言葉だと考えます。

 おばあさん、おじいさんは、孫を中心として情を結ばなければなりません。それでこそ、愛の垂直線が始まるのです。また孫は、おばあさん、おじいさんと一つになるべきです。おじいさん、おばあさんは神様と同じ立場であるので、神様のように侍らなければなりません。そうでなければ縦的な愛の軸を探すことができません。これを立てたのちに、横が生じるのです。横的なものは四方に連結されますが、縦的なものはただ一つの方向です。横的なものは東西南北、360度に動くことができますが、縦的なものは一つの点で動くことができず、分離することもできないのです。

 ですから愛を中心として、まず体と心を一つにしなければなりません。そして神様を中心とした縦的な世界である霊界を愛することができなければなりません。そして未来に中心国家が現れれば、その国を中心として全世界の人類を愛さなければなりません。したがって真の愛を中心として犠牲、奉仕、献身の道を通じ、霊界と全世界の人類を愛する生活を送れば、人間は自動的に中心的存在になって二つの世界を主管し、一つの世界をつくることができます。そうすれば、神様もそこに臨在なさるようになるのです。

 全霊界と全宇宙が合わさったものを「天宙」と言いますが、すべての霊界と宇宙は真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願います。天宙を統一することができるのも、全体の家庭を理想化させて一つにすることができるのも真の愛です。それで今日、人間が地上に暮らしても、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかないという結論が出てきます。

 真の愛は、人間や霊界だけでなく、すべてが好むものです。ですから真の愛をもった人を動物も植物も好んで、彼を主人として迎えようとし、いかなる存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとするのです。被造世界のあらゆる存在は、真の愛をもって生きる男性、女性の前に近づこうとして彼と共に生き、彼により主管されることを理想とするのです。

 したがってこの世の中で一番貴いものとは、真の愛をもった男性と女性、すなわち真の人という結論が出てくるのです。人間には翼がないので、どんな昆虫や鳥よりも遠くに飛び、どんな飛行機よりも速く地球を回るためには、実体の肉身ではできません。どんなに飛んでも、いくらも行くことができないのです。

 人は万物の霊長として、神様と対等な相対的立場にあります。ですから、1秒間に30万キロメートルを走る電気や光よりも、速い作用ができなければなりません。それを可能にするものが霊人体です。今、私がソウルにいても、霊人体はさっとニューヨークに行ってくることができるというのです。稲妻よりも速いのです。このように、思いと共に歩調を合わせて作用できるものが霊人体です。


韓鶴子総裁講演集」より

人間の行くべき生涯路程③

物質世界、父母、神様は三大父母

 自分は、三大父母を通じて生まれました。最初の父母は、物質世界です。物質の世界からすべての要素を受け継いで、物質の中心として、物質の複合的な存在として自分は造られました。このような観点から、その物質元素自体が私を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。この物質は、愛の理想の立場においてのみ安着するように宇宙はできています。

 愛の理想の立場で、すべての細胞が楽に生きられるようになっています。もし腹を立てれば、みなこじれてしまいます。次に、自分の体を生んでくれた父母が二番目の父母です。自分を生んでくれた父母が、自分をして一つの形態を備えて生まれてくることができるようにしました。しかしこの父母は、どんなに頑張っても愛の主人になることはできません。自分の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれないのです。

 愛の主人は、神様です。愛を宇宙化させて、愛を永遠化させるために神様がいらっしゃるのです。神様は、愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、神様が私たちの第三の父母です。このように私たちは、三大父母をもっているのです。

人生が経る三時代の意味

 私たち人間の一生を見てみると、腹中時代10カ月、肉身時代100年、そして霊魂時代1000年、1万年を永遠に生きていきます。私たちの顔を見れば、目、鼻、口の三3階になっていますが、これは人間が生きていく3時代の姿を見せているのです。口は物質世界の腹中時代を象徴し、鼻は人の世界の地上時代を、目は霊界の天上時代を表します。赤ん坊が育つお母さんのお腹の羊水の中は、赤ん坊には正に自由天地です。お母さんのお腹の中では、いつも背中を曲げていなければならず、また勝手に足げりもできず、鼻も口もみな塞がっているのですが、ここは赤ん坊には自由天地だというのです。赤ん坊に必要なすべてを供給するパイプがへそについていて、へそでだけ息をしなければなりませんが、そのような世界が赤ん坊には自由天地なのです。

 赤ん坊がお腹の中から生まれるとき、「私は世の中に出て、口で蜂蜜も食べて、餅も食べて、御飯も食べる」と考えて生まれますか。むしろ、その腹の中から外に出るかと思って「ああ、出なければいい」と言うのです。しかし「出たくない」と言っても、時が来ればみなはじけて出るようになるのです。水(羊水)が流れ出れば、それに従って外に出るようになりますが、このようにして生まれるのが安産です。

 赤ん坊は生まれるや否や、泣くと同時に鼻の穴で息をするようになり、第2世界、すなわち空気世界に連結されます。お腹の中から空気世界に連結されて出てくる時には、腹中世界で暮らしたへその緒と羊水の袋をみな破壊して出てこなければなりません。それらの死(破壊)と同時に地球星のお母さんの所に生まれるのです。生まれて、口で食べて、鼻で息をするのです。ところが、地上で食べる食べ物は、肉身が生きるのに必要な栄養分であり、本質的な生命要素ではありません。生命要素は、正に愛です。したがって、この世の中で愛という空気を吸わなければなりません。お母さんから、お父さんから、愛の空気を吸わなければなりません。

 赤ん坊が生まれると、お母さんの愛の電波に沿って自動的に乳首を探しに行きます。醜女でも美女でも関係なく、お母さんであればいいのです。これこそ創造の妙味であり、神聖で偉大な姿なのです。人は愛で生まれ、愛を受けながら成長します。このような立場で見るとき「私」というものは、父母の愛の実なのです。お父さん、お母さんの愛がどうだということを実際の実として見せたのが自分なのです。愛の実であるがゆえに、父母は「私」を愛さなければなりません。

 その実を通して、無限な愛がまた実を結ぶのです。個人的愛、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、世界的愛、宇宙的愛、そして本質的な神様の愛まで連結することのできる道がここにあるというのです。

 出生したのち、肉身時代には、自分を生んでくれた父母が子育てを受け持って正しい人に育てるのです。世界と国と家庭を代表し、父母がすべてを教えて供給してくれます。私たちが父母から物質を供給され、教育され、個体として完成すれば、愛を中心とした横的な基盤に連結させなければなりません。それが結婚というものです。

 父母は、結婚するまで責任をもつのです。結婚してお父さん、お母さんが愛し合ったものを引き継ぐのです。父母が自分を生んでどれほど愛したかを、自分が結婚して子供を生んで育ててみることによって知るようになり、その愛を引き継ぐのです。そうすることによって自分は愛を完全に受けることができ、与えることができる人になるのです。そのようにして完全な1人の男性、女性として成熟するのです。

 父母の縦的な愛で生まれて成熟し、横的に愛するようになって初めて、総合的な愛の圏を見いだすことができるのです。天地は球形世界であるがゆえに、縦横と上下、左右、前後の愛が連結されてこそ、それが授受して回り、すべてが総合されて一つの調和のセンターとして現れるのです。したがって天地の縦的愛が内外に軸としてしっかりと立てば、その次に横的な愛が必要なので、思春期というものがあるのです。

 思春期には、ただ秋風に落ち葉がころころ転がるのを見るだけでも「いい」と言うのです。乞食が訪ねてきて物請いの歌を歌っても、思春期には「あ! また来た。またやってるな」と言って歓迎します。そのように四方に拡大されるのです。ですから、おとなしくしていた女性たちも、髪の手入れや化粧をし、しきりに体に何かを塗るようになります。欲深くなるのです。それが愛の横的な現象なのです。


韓鶴子総裁講演集」より

人間の行くべき生涯路程②

真の愛は宇宙創造の起源

 したがって、あらゆる存在が互いにみな喜ぶことのできるテーマは、愛以外にはないというのです。その愛とは、大宇宙が歓迎することのできる真の愛です。神様も、天使世界も、万物も、そしてすべての人が公認できる、そのような愛なのです。愛というふろしきを持ってきてかぶせておけば、みなその中から抜け出そうとはしません。このような点から見るとき、宇宙創造の起源や生命の発源地とは、正に真の愛なのです。

 人間が宇宙を愛する境地に入れば、宇宙のすべての門が開くのを経験することができます。また、自分が今この空間に極めて小さなものとして存在しているとしても、愛を中心としては極めて大きな存在と共同的で共通的な、そして同等かつ対等な相対的権限をもつようになります。その極めて大きな存在が絶対的な神様ならば、私は愛の権威によって、その絶対的な神様の相対的な立場に上がることができるのです。神様の属性が愛であるからです。

 したがって神様の愛の公約を立てておいて、その公約の中に存在するようになれば、宇宙のどこに行こうと自由なのです。神様の愛に酔えば、砂粒一つを1000年見つめても飽きないのです。自分の手を見つめれば、自分の手から光が出ることが分かります。夜、1人で横たわっていると、暗い夜にもかかわらず、自分が黄金の板に横たわって黄金の光を発して寝ていると感じるようになります。夢のような話です。そのようになれば、丘に上がっても万物が喚声をもって歓迎するのを感じることができます。皆さんもこのような経験をしたことがありますか。

 私たちは、自分が愛の宇宙の中に生まれたと考えれば、無限に幸福に感じられるだけでなく、世の中に「我を見よ」と自慢するほどなのです。神様が実験室で研究している途中に最も理想的で、爆発的な発見があったとすれば、それは正に自分だったというのです。このような観点から、神様の愛の相対的立場として造られた自分自身を破綻させることは、罪の中の罪であり、これを愛して保護することは善の中の善であるという結論が出てくるのです。それゆえに自殺することは、最も大きな罪になります。宇宙を破綻させる行動です。

 監獄に入って、拷問で血を吐くことになったとしても、神様が抱いてくださる愛のみ手を感じれば、それがかえって神様が骨髄にしみる愛で抱くことのできる一つの条件になるのです。このように考えるとき、死ぬような環境も、幸福な立場だと考えていくことができるのです。このようなことを考えるとき、男性も女性も、愛の力の中にいる人は、強い人なのです。国や世界を与えても変化させることができないのです。そのような人の前には、サタンも屈服せざるを得ない驚くべき結果が現れます。したがって、この宇宙愛を中心として神様が人間を代表して呼ばれるとするなら、その方が正にメシヤです。イエス様がその代表者なのです。メシヤを通さなくては宇宙愛を見いだすことができないのです。ですから、万民はそのあとについていかなければならないという論理が成立するのです。

 イエス様が「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネによる福音書14章6節)と言われましたが、ここに愛という言葉を一つ加えなければなりません。「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言ってこそ、論理がもっとはっきりするのです。

私は父母の生命、愛、理想の結実体

 私たち人間は、父母の愛の中で生まれました。その父母の愛の一番中心の主人として生まれたのです。したがって、両親は私1人をつくり出すために愛し合ったという結論が出てきます。ですから、両親に対して同等の立場で権利を主張することができます。「お父さん、お母さんは、私がいなければ不幸です。私がいてこそ幸福でしょう」と言うとき、お父さん、お母さんは、「そうだ」と言うのです。また自分も、両親がいなければ不幸なのです。なぜなら、父母が原因で私は結果であるからです。父母と自分は、愛を中心として一つです。原因と結果が一つになって、一つの愛の実体圏を成すのです。これが宇宙の道理です。

 統一教会の「原理」では、主体と対象が一つになるところから力が出てくるといいます。したがって原因である両親が自分と一つになれば、主体と対象が一つになって、一体となったがゆえに新しい対象となり、より大きな主体と一つになることができます。神様がその主体ならば、その神様と一つになるのです。すなわち、神様の理想的な愛を中心として神様と完全な主体・対象関係を成すならば、神様と人間は完全に一つになるのです。神様と人間の愛の圏が成されれば、宇宙にはいつも明るい太陽のような愛の光が発せられるのです。

 自分は、お父さんとお母さんの二つの生命が一つに結合した生命の連結体であるだけでなく、父母の愛の同参者として父母の愛と一体です。さらには、自分は父母の理想とも一体です。理想には幸福や平和というものがすべて入ります。父母にとって、自分が世の中で成功した時の喜びが大きいとしても、なくした子供に出会った時の喜びとは比較にならないのです。ですから子供は、父母の最高の理想と一体だというのです。

 自分にはお父さん、お母さんの生命の綱、愛の綱、そして理想の綱が連結されているので、この綱は誰も切ることができないというのです。神様も切ることができず、宇宙も切ることはできません。むしろ宇宙のすべての力がそれを擁護しようとするのです。

 したがって、私がどこに行っても、お父さん、お母さんがついてくるようになります。あの霊界にまでも、お父さん、お母さんは、いつも共にいようとするのです。ですからお父さん、お母さんが同行することを嫌うのは、最も大きな罪です。この宇宙を破綻させる破壊行為なのです。

 父母を連れていくのを嫌うことは、既にその人が原則から離れて、堕落していくということを意味します。したがって、父母を自分の体のように思って愛し、父母に孝行することが人間において最高に価値あることです。「円満な家庭に福が来る」という言葉も、みなそこから来るのです。反面、父母が離婚することは、刀で子供を半分に切ることと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう父母は、どこに行っても災いを受け、不幸がついて回るのであって、幸福になることはできないのです。


韓鶴子総裁講演集」より

人間の行くべき生涯路程①

「真の家庭世界化前進大会」
1999年2月11日、神戸大会、国際会館ハーバーランドプラザ
       12日、高松大会、マツノイパレス
       13日、名古屋大会、愛知県体育館
       14日、大阪大会、池田五月山体育館
       15日、広島大会、郵便貯金会館
       16日、福岡大会、福岡サンパレス
       17日、熊本大会、熊本県立劇場コンサートホール
       18日、東東京大会、等々力アリーナ
       25日、札幌大会、ルネッサンス・ホテル
       26日、仙台大会、白石市文化活動体育センター
       27日、福井大会、フェニックス・ホテル
       28日、新潟大会、新潟市体育館
     3月 1日、長野大会、ホテル国際
        2日、千葉大会、千葉ポートアリーナ
        3日、神奈川大会、小田原文化会館
        4日、西東京大会、等々力アリーナ


 高名なる紳士、淑女の皆様、「人間の行くべき生涯路程」という主題で進められるこの大会に、御来場いただき、心より感謝申し上げます。

 今、全世界は大混乱の中で呻吟しています。個人では心身の紛争、家庭では青少年の淪落と家庭破綻、国家と世界の間に不信と戦争が絶え間なく続いています。ところで、この諸般の問題の解決は、神人愛一体理想を知ることによって克服することができます。

神様が人間を創造された目的

 人間がなぜ生まれたのかという問題は、人類が歴史的に追究してきた根本的問題です。ある人は、自分の国のために生まれたと考え、ある人は、自分の父母のために生まれたと考えます。あるいは自分自身のために生まれたと考え、信仰者たちは、神様のために生まれたとも考えるのです。

 しかし、神様が宇宙を創造なさった目的が人間だけのためであるとか、神様御自身だけのためであるという論理は成立し難いのです。人間が造られる過程に連結された様々な目的、すなわち神様が人間を創造なさった目的や天使が人間創造に協助した目的、万物が人間に投入された目的、そして人間が生まれたこと自体の目的などが、互いに違ってはならないのです。

 全体がみな喜ばなければなりません。人間創造に関連した神様も喜び、天使も喜び、万物も喜び、そして人間自体も喜ぶことのできる、そういう共通の内容でなければなりません。それは、持てば持つほどうれしく、一度もてば永遠に手放したくない、そのような何かなのです。それは、外的な内容ではなく、極めて内的なものであり、目に見えないものなのです。知識やお金や権力のようなものは、人間が生きていくのに必要な付帯条件であるだけです。そのようなものは、すべて人間のためにあるものなので、人間には当然そのようなものを所有する権限があるのであって、そのようなものを所有するために生まれたとは考えることができないのです。

 そのようなものは、みな流れていくものです。そのようなものは、自分と一時的な相対関係を結ぶことはできるかもしれませんが、永遠の相対関係を結ぶことはできないのです。

 さらに、神様はお金が必要なのではありません。全能であられる方なので、お金はいくらでも作ることができます。神様は万物をつくるとき、原理原則を通してつくったがゆえに知識の根本でもあられます。そして神様御自身は、創造主として権力の主体であられるがゆえに、権力が必要でもありません。それは、人間の努力だけで追究できるものではありません。人間の努力では生命の根源を支配することはできません。自分の生命の動機や過程、そしてその生命の終末まで動かし得る、そのような何かでなければならないのです。

 このように見るとき、それは真の愛しかないのです。人間は愛で生まれ、愛の道を行かなければなりません。そして死ぬときも、愛のために死ななければなりません。したがって私たちの人生を見るとき、生命より愛がもっと貴いのです。そして、それだけでなく、愛が生命よりも先なのです。したがって、愛のためには生命まで喜んで捧げるのです。

 愛は、永遠なのです。小説や詩のような文学作品を見ても、すべて「不変の愛」、「永遠なる私のあなた」という表現が多く見られます。これは、私たちが瞬間的な愛、限られた時間内の愛を願うのではなく、永遠の愛を願うということなのです。

 愛は、神様も微動だにできなくさせる権威をもっています。神様も、愛には弱いというのです。全能なる神様も、人間の愛の香りをかぐならば、満面に笑みを浮かべられるのです。神様も、愛の話が好きなのです。話だけでも好きなのに、実際に愛すればどれほど喜ばれるでしょうか。私たちの体の様々な器官も、愛という一つの目的を中心に生まれました。目は見るために生まれましたが、どのようなものを見るためかというと、共同のテーマである愛を探すために生まれたのです。鼻もにおいをかぐために生まれましたが、においの中でも愛の香りをかぐために生まれたのです。耳も愛の声を聞くために生まれました。私たちが聞く言葉の中でいくら聞いても嫌気がせず、好きな言葉は「愛している」という言葉です。これは若者も老人も同じなのです。


韓鶴子総裁講演集」より

真の父母「文鮮明先生み言訓読大会」⑦

感謝すべき私たち

 神様に対する感謝をどのように捧げることができ、真の父母に対する感謝をどのように捧げることができ、私たちの教会に対する感謝をどのように捧げることができ、私たちを再創造してくださったことに対する感謝をどのように捧げることができるでしょうか。私が経てきたのちには、真の家庭が現れるのです。一段階もっと進めば真の氏族が現れ、一段階もっと進めば真の国家が現れるのです。一段階もっと進めば真の世界が現れ、一段階もっと進めば真の宇宙が現れ、一段階もっと進めば真の天宙が現れ、一段階もっと進めば真の神様が現れます。これが私たちの最終目標なのです。

 人間は、堕落した以後にサタンの血統を受け継ぎました。数千万代を経て、神様の血統でないサタンの血統を受け継いだのです。どのようにこのサタンの血統を清算するのでしょうか。アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚い血統を、どのように清算するのでしょうか。

 このような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられた方が真の父母です。サタンの血統を肥料にして、生命を育ててきたのです。しかし、新しい復活の時代には体が神様の愛と生命と血統を中心として、真の愛を肥やしにして成長してきたのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。ここから神様が共にいらっしゃり、サタンとは永遠に離別するのです。

 神様の心の中に苦痛があるとは、誰も思わないのです。歴史上で今、ここにいる真の父母を通して現れ、その深い使命を明らかにしておいたから分かるのであって、そうでなければ分からないのです。イエス様もそれを知りませんでした。分かったとしても、心の中にあることを語ることができませんでした。また、宗教指導者のうち、誰もそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に御父母様が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。

 今からは個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければなりません。一国家の指導者も、過去を悔い改めて立ち直れば、神様が許されるのです。それは神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなければサタンを分立できないのです。また、統一教会の祝福式の前にある血統転換式を意味するのです。

 歴史の初めに堕落すると同時に、真の愛、真の生命、真の血統が堕落世界の汚れたものとつながりました。しかし今は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的につながっているのです。これは180度転換したのです。サタン側とつながった韓国やこの世界には、希望をかけてはいけないのです。全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母についていったのです。

 180度反対に生まれ変わるのです。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初が父母です、国ではなく。その次は兄弟です。では3番目は何ですか。夫婦、夫と妻なのです。4番目は子女です。神様は、3世代を願われるのに、この3世代をもてませんでした。1代は神様、2代はアダムとエバ、3代は今までもてなかったのです。今まで神様を中心として、人類が繁栄できず、サタンに属するようになったのです。そのサタンは愛の怨讐です。

 どのようにこの血統を清算することができるでしょうか。「私」は、日本人でも、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。神様の愛、神様の生命、神様の血統、この3つの根源が標準なのです。

 戦争で負けた敗残兵が血を流しながら倒れているなら、それを誰が葬りますか。誰が敗残兵を教育して再び正規軍にするでしょうか。また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするでしょうか。ただ殺してしまうでしょうか。違います。勝てばみな良いと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。感謝する場合には何に感謝すべきですか。幸せに暮らせるようになることに感謝するのではありません。十字架を背負ったことに感謝しなければなりません。それをみな解決してから、再び建設したあとにこそ、自分の時が来ることを知るべきなのです。

 自分が新しい家庭を立て、新しい国家を立て、新しい世界を立てたあとにこそ、自分が幸福に暮らすことができるのです。


韓鶴子総裁講演集」より