韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

平和の根源は神様④

 いくら高い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和の世界を確立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになり得る心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は自分自身とは何の関係もなくなるのです。絶対者、創造主のつくられた万物も、創造主の愛を受けて再び創造主と一つになることが目的です。

 したがって、万物の霊長と言われる人間が、万物を主管できる立場に立とうとすれば、必ず神様の心情を受け継いだ位置に立たなければなりません。このような心情は、神様と人間が父子関係だということを証明してくれる印であることはもちろん、万物と人間を結んでくれるきずなでもあるのです。

 ところが、このような平和の理想世界、すなわち創造本然の世界を復帰するには、必ず蕩減の条件を立てなければなりません。蕩減復帰の過程を経なければならないというのです。蕩減復帰とは何を意味するのでしょうか。何であっても、その本然の位置と状態を喪失した時、それらを本来の位置と状態に復帰するには、必ずそこに必要なある条件を立てなければなりません。このような条件を立てることを「蕩減」といいます。

 しかし、一般社会では、「蕩減」という言葉をそのように重要視していないのを見ます。そのような言葉はありますが、その内容をよく知らずにいるからです。

 天と地、神様と私たち人間だけならば、このような「蕩減」という言葉は必要ないはずです。すべて、私たちの最初の先祖を堕落させたサタンのためです。サタンがいなければ蕩減も必要なく、今日私たちが、のどが張り裂けるほど叫んでいる「宗教統一」という言葉も必要ないはずであり、「神様の解放」、「人類の解放」といった言葉も必要のない世界になっていたことでしょう。

 堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を復帰しなければなりません。

 そうでなくては、平和の根源を発見できないのであり、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。イエス様は、この地に来て何をしましたか。迫害を受けて十字架で亡くなりながらも人類を愛そうとしました。十字架の愛を中心として施していった人です。愛を受けようとしたのではありません。怨讐までも愛そうとしました

 皆さんの人生においても、愛を受けようという方向性が愛を与えて生きようという方向性に転換して、その基準が世界化されれば、その時には平和の世界が訪れるはずです。愛を受けようという意識ばかりをもった人々が暮らしている所には、永遠に平和の世界が来ることはありません。自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないというのです。

 すべての人を自分の父母、自分の兄弟、自分の子女のように感じて対することのできる人格をもつようになれば、皆さんは死亡の世界で苦しむ多くの民を見る時、涙なくして対することができないはずです。

 青少年が麻薬と放蕩の沼でもがくのを見る時、自分の子女を救う心情で、彼らを救うために心血を注がざるを得ないはずです。それは、受けようという愛ではなく、我知らず与えようとする愛の発露によるのです。


韓鶴子総裁講演集」より