韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

平和の根源は神様⑤

 自由や平和は、統一を前提条件としています。夫婦間の生活をおいて一度考えてみてください。2人が一つになっていないのに、真の意味で夫婦の自由を享受することができますか。夫婦間で一つになることができなければ、円満な家庭は期待できないのです。家庭の平和は、絵に描いた餅になってしまうのです。

 個人や家庭はもちろん、世界的に「愛を受けようとするのではなく、愛を与えよう」と考えられる人を育てておかなければ、統一の世界や平和の世界は訪れることはあり得ません。変わることのない神様の前に、いつでも心変わりするような人になろうというのは神様に対する冒涜です。変わることのない愛の前に、変節を前提とした愛を行うことは愛に対する冒涜です。

 私たちは、神様と苦楽を共にすることのできる出発点、すなわち変わることのない頂点において、自分の心に平和の基盤を用意し、さらには自由と幸福の基盤を用意できる基準を備えなければなりません。

 そして、その基準を中心として体を完全に主管し、この世界を統一することのできる実力を備えていく運動が、この地上で展開されなければならないのです。イエス様がもたらした新しい世界主義運動が、正にこのような運動なのです。

 これこそ、今日このように混濁した世の荒波をかき分けて生きていく人類の前に、神様が最後の終末的警告として下さったみ言だということを銘記しなければなりません。私たち全員にとって宿命的な課題です。運命的ではなく、宿命的だというのです。宿命は変わらないのです。運命は自分の努力によって改めることも、変更することもできますが、宿命は変更できません。絶体絶命の天命です。

 皆さん、私たちが人生を生きてきながら、誰でも一度くらいは平和の発祥地、あるいは幸福の発祥地がどこなのか、と疑問をもったことのない人はいないはずです。果たして平和と幸福の発祥地とは、どこでしょうか。それはアメリカでもなく、韓国でもなく、国連でもありません。問題はどこにありますか。心と体が闘うこの人間の胸の中で、いかに平和の宇宙観をもち、幸福な世界観をもつかということが、限りなく重大な問題です。

 私たちの小さな胸の中では、6000年続いてきた戦争の砲火がいまだに燃え上がっています。第1次世界大戦も激戦でしたし、第2次世界大戦ももちろん激戦でした。しかし、そのような戦争は、すべて過程的な戦争でした。長くて5、6年を越えることのない戦争でした。

 ところが、皆さん自身において展開する心と体の闘争は、終わりも知らずに破滅に向かって突っ走っていく最悪の戦争です。自らの一生に向かって大砲を撃っています。心と体の決戦場は、神様とサタンとの善悪の戦場となり、熾烈な激戦が展開しているというのです。

 しかし、このように霧の中に閉ざされ、垣根の中に封じ込められた人間像を、果たしていかに解放するのかということが問題です。霧を吹き飛ばしてしまう風が吹くようにしなければなりません。天の高いことも知らず立ちふさがっている壁を爆破してしまわなければなりません。これが私たちの宿命的闘争路程です。

 睡眠を克服しなければならず、空腹を克服しなければならず、非原理的な性的欲望を克服しなければなりません。それで、文総裁は、早くから、この道を出発しながら「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」という標語を掲げて、一生の間闘ってきたのです。

 聖書では、今日の人類を「孤児」といいました。国家も「主人がいない国」といいました。皆さんの心は、ほんの一瞬でも真の平和を享受してみたことがありますか。皆さんの国には主人がいますか。


韓鶴子総裁講演集」より