韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

平和の根源は神様③

 そのため神様は、このような悲惨な歴史、苦痛に満ちた歴史を清算して、本来願われた平和の世界、幸福の世界、自由の世界、善の世界を取り戻すという目的を立てて、この堕落した世の中を収拾してこられたのです。これがすなわち復帰の道であり、救援摂理の道なのです。

 堕落したアダムとエバの子孫として転落した人類になりましたが、人間は誰しも本然の世界を指向する本心が残っているため、人類は歴史を通して神様が願われる世界を望み、指向してきたのであり、私たちのその希望は、行くまいとしても行かざるを得ない、なすまいとしてもなさざるを得ない理想として残されたのです。

 神様は、堕落した人類に時代に従い新しい理想と新しい心情を取り戻してくださろうと、今日に至るまで摂理を繰り返してこられました。

 もし、そのような理想を成就する1日が天と地において見いだされないならば、すなわち、天と地を動かすことのできる一つの中心存在、そして、その中心存在を軸にして共に動くことのできる人々が現れ、天と地が一つになって一つの目的を指向することのできる道を開けないならば、この地上には真の自由と平和と理想が成されないのです。そのようになれば、人間は宇宙的な運命的蕩減復帰の歴史過程を抜け出すことができなくなることでしょう。

 このような事情があるため神様は、私たちに栄光の立場でお訪ねになることができないのです。平和と自由と理想をもってお訪ねになることもできません。反対に祭物の峠を歩んで私たちをお訪ねになるしかないのです。蕩減復帰の道だからです。神様の悲しい心情を一掃してさしあげる一時、すなわち神様の心中にしみ込んでいる恨を解いてさしあげることのできる一時を探し立てることができない限り、人類の平和はもちろん、神様の創
造理想もこの地上でその実を結ぶことはできないのです。

 私たちは、神様の胸に、しこりとなっている恨を解いてさしあげることによって、神様を解放してさしあげるべき責任があります。しかし、このような事実を、今日、イエス様を信じる聖徒たちは知らずにいます。

 私たちは、堕落した人間なので、堕ちる以前の本然の状態、神様を失ってしまった人間なので、神様を失う以前の立場、人類の真の父母を失ってしまったので、真の父母を失う以前の立場を再び取り戻さなければならないのです。

 私たちは、神様と真の父母を中心とした平和の園において、子女として生活することのできるその立場を取り戻して、その立場に立たなければならないようになっています。

 この課題を成就するために、今日の私たちには、新しく「救援摂理」という名詞が残るようになったのです。

 全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。本来、人が堕落していなかったならば、神様の愛を中心とする人間の心と体が二律背反的な位置に立つことは絶対にあり得ません。しかし、堕落することによってそのような位置に立ったので、歴史路程を再度収拾し、一つの世界平和圏をつくって安着することのできる基地を用意するために、神様は救援摂理、すなわち復帰摂理といううんざりするほどの宗教儀式や規則を通して、受難と犠牲と流血の歴史をつづってきたという事実を知らなければなりません。

 しかし、仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。


韓鶴子総裁講演集」より