韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

勝利の日を待ちながら(2)

 お父様がダンベリーの苦難の道を行かれる間、主人に侍り従うのは容易くても、主人の代わりに立つのは容易くないということを感じました。それは、主人のみ旨に沿って仕事をしなければならないことはもちろんですが、自分が率いている家族と、下に抱えている人たちも共に満足できる立場に立たなければならないためです。私自身も、主人と率いる人々の中間に立って、自分を治めていかなければならないということが、どれほど苦痛で難しいかを体験した1年ではなかったかと思います。

 お父様がダンベリーにいらっしゃる間、その1年間は言うに言えない、形容し得ないことが、私たちの内外において多く起こりました。その事件は、み旨から見るとき、神様の摂理から見るとき、絶対に損害になることはありませんでした。神様の哀れみと許しと愛を人類が受けられる、そのような道を開いたのです。

 興進君(二男)の昇華以後、「愛勝日」以後に、お父様がダンベリーで「開天門の日」を立てられるまで、どれほど多くの内的な闘争があり、摂理的勝利へと終結させるための努力と苦痛がどれほどであったかということを、皆さんは想像することさえできないでしょう。

 私もやはり、ダンベリー刑務所に一緒に入りたいという思いを数千回ももちながら、お父様が受けていらっしゃる苦しみを思ったりしましたが、どれほど理解したかについては、自信をもって言うことはできません。

勝利の一日のために

 悪いことは重なるもので、皆さんもよく御存じのように、その期間に朴普煕総裁の拉致事件が発生することにより、お父様をさらに苦しませたのが私たちではなかったかと思います。

 朴普煕総裁は、お父様に代わって裁判問題に全体的な責任をもった立場に立っていたのですが、急に拉致されてしまったので、お父様はもちろん、私にとっても大きな衝撃だったのです。

 皆さんにすべてをお話しすることはできませんが、内面的にはいろいろ複雑で難しいことが1日の間にも、数多くあった期間を過ごしました。その間、お父様がどれほど多くの労苦と困難を越えてこられたのかを理解することができ、私自身、過去を振り返ってみて、多くのことを新たに悟ることができました。

 お父様がダンベリー刑務所に入っておられる間、将来への希望と自信よりは、挫折感しかない立場でしたが、皆さんや多くの人たちに接する時に、それを表すことはできませんでした。そのたびごとに、お父様の立場がどれほど難しいかを切実に感じるようになりました。神様を慰め、もつれた人類歴史を一つ一つ解きながら、経てこられた苦労の路程の前に感謝しつつ、勇気を得たりもしました。

 お父様は誰一人として相談できる相手がいない中で、自ら実践してみせながら、全身全霊を込めて、行くべき道を教えてくださいました。しかしながら、私たちが十分ついていくことができない立場において、表現はなさいませんが、毎日毎日、監獄の生活をされた、そういうお父様であったということを悟りました。

 生涯をそのように生きられた主人の前に、短い期間でしたけれども、しばらくお父様の代身としての責任をもった立場において、難しさを実感した期間であったと思います。

 神様の前に、再びこのように健康なお父様をお迎えし、皆さんに対面できるこういう日を迎えられたことを、心から感謝するものです。皆さんにお話ししたいことはたくさんありますが、これからもっと多く話す機会があることでしょうし、また私は、今あまりにも気持ちが高ぶっているので、うまく表現できず、どれほど理解していただけたかは分かりません。

 これまでの皆さんの決意と御苦労と精誠が、未来において神様の前に大きな喜びと栄光を帰する勝利の日を来たらせることを誓う、きょうの日としてくださるようお願いしながら、お話を終えたいと思います。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より