韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

誇って見せることのできる実績をもとう(1)

 1984年7月22日、米ニューヨーク、イースト・ガーデンで行われた聖日の夜の説教。7月21日、ダンベリー刑務所(米コネティカット州)に面会に行ってこられた内容を中心として、ニューヨーク地区の中心メンバーに語られたもの


従順に従うことが妻の伝統

 皆さんも同じ心情であると思いますが、特に私(韓鶴子女史)においては過去を深く考え、整理する心で静かにいたい心情でいっぱいだったのですが、きょうの夕方、話をするために、朴普煕総裁の要請でやむを得ずこの場に立ちました。西洋においてはよく理解できないと思いますが、東洋の女性には、盲目的な服従というよりは従順という、美しい伝統があります。一つの家庭の家長が苦難を受けるとき、家族全員が共に痛みを受けることを道理と考えていますし、社会や国も同じような立場です。一国の国王が苦難に処するときには、すべての閣僚をはじめとして全国民が同じ心情をもって生活するのが、東洋において昔から伝わっている伝統であるといえます。

 今ここに集まった皆さんは、すべて責任者です。皆さんは、これまで全世界の統一教会(現世界平和家庭連合)の食口(メンバー)たちに比べれば、誰よりもお父様(文鮮明先生)から多くの愛を受けたと自負しています。私が考えるとき、皆さんは、これまであまりにも多くの愛のみ言を受けました。その価値と重さは量り知れません。皆さん自身について考えてみてください。真実な命令一つに対しても、皆さんは責任を果たしたと思われますか。今まで行ってきたとおりに、会議してもよいし、み言を聞いてもよく、再決意するのもよいのですが、これからは何か、皆さんが、お父様の前に見せることのできる実績をもたなければならないと思います。

悔い改める場

 きょうこの時間、お父様のお話を伝える前に、皆さんにまずお願いしたいことは、本当に純粋な立場で真正に天の前に悔い改め、再び立ち得る道を求める立場に立っていただきたいということです。

 1984年7月20日は本当に、永遠なる歴史の中において取り除いてしまいたい日でもあります。お父様はダンベリーにたたれる瞬間まで皆さんを激励しながら、皆さんに希望をわき上がらせてくださいました。

 20日の夜10時にイースト・ガーデンを出発して、キャンプ・オフィス(ダンベリー刑務所)までお送りしました。何度も唇をかみながら、心を強くもたなければならないと誓ったのですが、我知らず流れる涙を禁じることができませんでした。

 車から降りる直前になっても、御自分の前に近づく事態に対しては少しも心配されず、かえって私を慰めるためにあらゆる神経を遣われるのを見るとき、私はどうしてよいか分かりませんでした。

 お父様が入っていかれると、警備員たちが「彼は罠にかかったのです(He is in the trap)。彼が罠にかかったことは確かです」と言いました。

 お父様は発たたれる前に、「私は監獄をも解放しに行くのだ」とおっしゃりながら、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈祷しなさい」とたびたび言われました。なぜかその言葉を聞くと、どうにも抑えることのできない悲しみが込み上げました。私がこのことをなぜ言うかといえば、皆さんに「真に責任ある仕事をしてください」というお願いを申し上げたかったからです。真の父母(文鮮明先生と韓鶴子総裁夫妻)と同時代に、共に呼吸しながら、共に仕事をした皆さんは、歴史に記録されるでしょう。

 ところが、こうなってしまった事実を見るとき、皆さんは皆さんの子孫に会わせる顔があるでしょうか。ここに集まった人々は、大部分が祝福家庭であると思います。いま一度、深く反省し、悔い改めて、純粋な心で神様に対し得る姿になってくださるようお願いいたします。

 神様の大きな願いの中で創造された人間が、神様のみ旨を支えることができずに、神様の悲しみの歴史が始まったのであり、それによって復帰歴史が始まったことを、皆さんは原理を通してよく御存じでしょう。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より