韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

「1993年は特別な年」韓鶴子女史が東京教会で語られたみ言(1)

 皆さん、み言を通してよくご存じだと思いますが、1993年は特別な年です。私たちの家庭が神様に侍って生きる時代です。堕落した人間にとっては、どれほど驚くべき、厳粛な、想像もできない祝福の時代が到来したことでしょうか。しかし、我々の家庭、我々の国は、どのような状態にあるのか考えてみてください。

 神様がアダムとエバを創造されて、どれほど喜ばれたことでしょうか。どれほど大きな希望と夢を抱いて、日々成長していくアダムとエバをご覧になっていたでしょうか。しかし、思いがけないエバの堕落によって、その瞬間から神様は目の前が真っ暗になってしまったのです。

 全知全能の神として、堕落した人間を切り捨てることができず、再び人間を捜し求めてこられた歴史が6000年です。言葉では6000年と言いますが、神様としては、本当に暗闇の悲惨な歴史路程を耐え忍びながら、本然の世界を待ち望んで、歩んでこられた歴史であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 千辛万苦を重ね、イスラエル民族を立てて、イエス様を送られましたが、結果的にユダヤ教イスラエル民族がイエス様を受け入れることができず、神様は再び暗闇の苦しみを感じざるを得なかったのです。イエス様の十字架以後、2000年の間、多くの預言者たちを通して、このキリスト教の歴史を導いてこられました。そして、第2次大戦以後、神御自身がみ旨を成すための基台を造成し、1人のお方を送り、摂理歴史を始められましたが、キリスト教が受け入れることができず、そのお方は十字架の道を行かざるを得なかったのです。その姿を御覧になる神様の心情はいかばかりだったでしょうか。再び、どん底に落とされ、暗黒の世界に追われていく、そのような心情ではなかったかと思うのです。

 再び、どん底からはい上がってきた統一教会(現世界平和家庭連合)の40年の歴史、真のお父様(文鮮明先生)の40年の歴史こそ、血みどろの逆境の路程であったことを、皆さんはよく御存じでしょう。日本統一教会の歴史も30年が過ぎました。年数から見ても成長したと思います。その間、全世界の統一教会の食口(教会メンバー)たちも同じだと思いますが、あまりにも父母様(文鮮明先生、韓鶴子女史)と心情的に距離が遠く、一つになれず、お互いに自分を中心として、自己中心的な生活をしてきたのです。ですから、その過ぎし日々を反省しなければならないと思うのです。天の立場から見るならば、堕落した人間は2度と見たくないし、会いたくない存在なのです。しかし、それでも許し、立てたみ旨を成してくれることを願いながら、切ない思いで私たちをなだめすかしたりして、導いてくださる真のお父様の愛の前に、私たちは感謝しなければなりません。

 1993年は、とても難しい立場の中において勝利された真の父母様の基台の上で、このような時を私たちに与えてくださっていることを考えてみるとき、皆さんはどれほど喜びが大きいことでしょうか。皆さんは地を踏んでいるのか、空を飛んでいるのか分からないほど、喜びと感謝の心で生きなければならないのが、今の皆様の立場なのです。

 今、この時間も、お父様は(米国の)アラスカで夜も眠らずに、全身全力を投入されながら、日本から来た修練生たちと共に過ごしていらっしゃいます。さらに、皆さん、考えてみてください。私の日本における講演の時間が、アラスカでは夜の時間なのです。お父様がその時間に合わせようとすれば、夜を明かしてしまうのです。それが、1日、2日でもなく、1カ月も続くということは、若い人にさえ難しいことです。お父様の年齢としては、大変無理をしていらっしゃるのです。皆さん、肉身は誰も同じなのです。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より