韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

真の父母と成約時代②

和解を実現する公式

 御来賓の皆様。腐敗と罪悪に満ちた世界が、善と愛の根源であられる神様からどうして始まったのかと、疑ったことはなかったでしょうか。聖書を注意深く読んでみると、人間の堕落が、アダム家庭全体を失う結果になったことを知ることができます。第一に、アダムとエバが堕落によって、父母の位置を失い、第二に、カインがアベルを殺害することによって、子女の位置を失ってしまいました。

 理想家庭と完成した世界を計画されていた神様の青写真まで失う結果になりました。したがって、神様は根本家庭を復帰するために、カインとアベルの位置を復帰し、そして、真の父母の位置を取り戻すために、反対の経路で摂理を進めなければなりませんでした。
 カインとアベルを和解させ、一つにさせるパターンは、そのまま真の父母を復帰する基台として、復帰摂理歴史の公式になってきています。ユダヤ教キリスト教の歴史を調べてみると、堕落人間はカイン・アベルのように、敵対と分立歴史を繰り返してきました。したがって神様は、堕落人間をサタンを象徴するカイン側と、神様を象徴するアベル側の二人の兄弟関係に分立させ、堕落によって生じた憎悪を取り除いてこられました。

 神様は、アベルが先に打たれて犠牲になる作戦をとってきました。その結果、アベルは自分を犠牲にし、カインを包容して、長子に与えられた祝福を取り戻したのです。例を挙げれば、救いの目的の最先端を行く宗教は、いつもサタンから激しい迫害を受けてきました。そのような宗教の行く道は、常に反対されながらも、罪悪世界を救うために絶えず犠牲になってきました。それゆえ、善なる人々はいつも先に打たれ、犠牲の道を行きます。今日、堕落した世界を見ると、例外なく、カインとアベルの善悪の葛藤と闘争を見ることができます。このような葛藤と苦痛は、個人の心と体の衝突から始まります。心はアベル側に立ち、カイン側に立っている体を征服しようと身もだえします。

 このような個人の苦痛は、家庭、国家、世界にまで拡大しています。その結果、人間は常にアベル側すなわち善なる側と、カイン側すなわち悪なる側との2つの側に分かれて、あらゆる次元で戦っています。しかし神様のみ意は、いつも双方が争い、一方が勝利し、他方が征服されるよりは、共に復帰されることを願っています。

 その実例を挙げれば、イエス様が十字架にかけられた時、左右にも同じように磔にされた者がいました。右側の強盗がアベル格、左側の強盗がカイン格になります。世界的には自由世界と共産世界を代表して、最後の闘争を展開している韓国と北朝鮮の対決、さらには、中東でのキリスト教イスラム教の対決を挙げることができます。したがって、神様の復帰摂理にとって最も中心的な問題は、どのようにすれば分かれた双方を神様の理想を中心として一つにして、真の父と真の母を迎える基台をつくるかということです。

終末を迎えた世界

 紳士、淑女の皆様。家庭が神様の愛の理想を中心としていないので、家族の間に衝突が生じます。神様の愛を絶対的な中心としなければ、結局、その家庭は崩壊してしまいます。さらには、そのような家庭が集ってつくる国も、衰亡の道をたどります。最初の家庭が不倫を行い、利己的な愛の奴隷になったので、利己心と欲望は個人・家庭・社会・国家・世界的次元へと展開して、人類歴史を汚してきました。それゆえ神の復帰歴史は個人から始まります。ところが、サタンもそれを知っているので、人間に対して個人の次元から集中攻撃を行ってきました。

 終末を迎えた今日、利己的な個人主義が一般的な生き方となったのは、決して偶然ではありません。人々は日が経つにつれて、周囲から次第に疎外感を感じ、各自が属している国家、社会、そればかりか自分の家庭にまでも無責任になりつつあります。離婚率が日々上昇している事実は夫婦が互いに結婚に対して無責任であるという証拠です。父母は子女に責任を持とうとしないし、個人の威信を放棄しつつあり、自分に対する責任すら持とうとしません。アメリカでは、このような現象が1960年代、青年の運動と共に台頭し始めました。理想を求める若者たちは、愛と平和の美名のもと、物質主義を排斥して出発しました。しかし、その過程で彼らは、物質主義を排斥したばかりでなく、人間の道徳性と責任感までも捨ててしまいました。

 彼らが、求めてきた愛と平和を獲得できなくなると、多くの若者たちは、自殺、麻薬中毒、フリー・セックスへと陥ってしまいました。これらの現象の中でも、神様が最も心を痛められているのはフリー・セックスです。愛はもともと純粋な情緒的刺激から誘発されるはずなのに、フリー・セックスは純潔や情緒とは全く関係がないのです。正反対に、神様のみ旨のために働いている人々は、全くそれとは180度異なった生き方をしています。

 歴史を見ると、自己犠牲を甘受しながら霊的な価値を追求してきた人々は周囲から言い表すことのできないほど反対と迫害を受けてきました。神様の愛と祝福が共になかったならば、統一教会(現世界平和家庭連合)も世界的な反対の中で、今日のように発展することはできなかったに違いありません。私たちの教会がわずか38年間で、戦争で灰と化した韓国の地で、無名の教会として出発し、今日世界的な宗教として登場し得た事実、それ一つだけを見ても、神様の限りない導きと加護を感じることができます。


韓鶴子総裁講演集」より