韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

真の家庭と私⑥

良心作用

 良心は、神様の真の愛を、どのように占領するのでしょうか。何かお金があり、知識があり、権力があっても、自己の命を懸けて愛する人を失ってしまえば、役に立たないのです。皆さんが心を解放させ、解怨成就させて、360度をもって解放圏を良心世界に放てば、その良心は自然と神様の真の愛と連結されるのです。愛と良心のどちらが大きいかといえば、愛が大きいというのです。なぜなら、良心は愛から始まったので、愛がより大きいということを知ることができます。

 良心を解放させ、神様の真の愛と一つとなって暮らしてから入る所、神様の愛の血族のために準備して、愛を中心として暮らしてから入る所が天国だというのです。この愛を占領できなければ、永遠に天国に入れず、その日のために数千万年を待たなければならないというのです。

 堕落によって失われた真なる神様の思想と経綸の明かりが、人間たちにともされて、神様の真の愛を備え一体にならない限り、天国とは関係がないのです。真の良心と、真の愛が一つになって暮らす人は、天国に自動的に入ります。イエス様を信じても、神様の愛との連結ができない者は、天国に入れません。心と体が闘う者は、天国に入れません。サタンの血統を受けて紛争する者は、天国に入れません。

 このようなことを開拓すべきすべての宗教が、自ら闘うときには、終わりの日にみな滅びるようになります。闘う所には神様がいらっしゃいません。それゆえ、宗教というものは、体を打って良心を解放させる方便的な運動であって、これが救いの門を開く鍵ではありません。神様の真の愛を中心として真の愛と真の生命と真の血統を受け継がなくては、救いはあり得ないという事実を知らなければなりません。

 宗教を信じることによって救われるのではなく、宗教は体を弱めるものです! 良心の解放圏を備えるようになれば、良心の欲望は神様より高くなる資格があるというのです!皆さん、私がすることを良心が先に知っているでしょうか。どうですか。良心が先に知っているのです。私たち人間は相対的な存在なので、人格が異ならなければなりません。個性が異なるのです。人格が異なるのです。もし、神様が先に知るなら、神様の分身であり、一つの体なのです。そうなれば、相対的な理想は、自己自らがしなければならないということです。アダムとエバが堕落したあとで神様が、「おい、アダム! お前はどこにいるのか」とまず聞くのです。

 対象的な人格者としての人間は、神様の真の愛から出発したので神様に帰るのです。神様に帰らなければならないのです。父母が百歳になり、息子、娘たちが年を取って80歳になるなら、父と子は父子の関係はもちろん、友にもなるのです。男性と女性を力で比較すれば相手になりませんが、愛というものが介在するなら、夫と妻が互いに押したり引き寄せたりしながら一つになるというのです。神様の前に対象的な愛の存在になったなら、神様が喜ばれるでしょうか、喜ばれないでしょうか。

 神様が理想的な対象を願いながら、愛の対象が完成する前にこの宇宙をお造りになりましたが、愛の対象として完成したのちに、アダムとエバが「それ以上に大きなものを再び創造してほしい」と言えば、神様には創造なさることのできる能力があるでしょうか、ないでしょうか。私たちの良心の欲望が無限なものであっても、それを創造してくださる神様だということを知らなければなりません。

 このように無限なる神様の真の愛を中心として、対象の価値として造られたという事実を完全に失ってしまったので、これを再び回復しなければならないというのが、人間の生涯であり、人類歴史の目的だったということを知らなければなりません。

再臨のメシヤはどのようなお方か

 神様は宗教を立て、宗教の主人たちが再び来るといいました。キリスト教はイエス様が再臨するといい、仏教は弥勒仏が来るといい、儒教は真人が、イスラム教はマホメットが再臨するといいました。神様が宗教を立てた目的とは何でしょうか。

 神様が一番愛する息子、娘、神様の骨と肉が一つになるそのような愛する息子、娘を中心とした愛する家庭、氏族、民族、国家を形成するのが神様のみ旨であるということを、皆さんははっきり知らなければなりません。

 それでは、メシヤはどのようなお方かということを皆さんは知らなければなりません。永遠なる神様の真の愛を根として、初めて地上に来られて、すべての宗教が願う理想を完成するお方が再臨のメシヤだということを、皆さんは知らなければなりません。そうして、真の父母となって、失ってしまった真の愛を中心として、真なる生命と真なる血統を地上に理想家庭として探し立てようというのが神様の救援摂理の目的でした。

 堕落によって神様は、アダム家庭の真の母と息子、娘たちをみな失ってしまいました。神様がもつことのできる真の息子、娘がいなかったのです! 神様の真の愛を中心として、血統的な因縁をもつ神様の家庭がなかったのです。堕落した父母によって、偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統の因縁を結ぶことで、私たちの心と体の闘いが起こりました。アダムとエバが怨讐になりました。アダムの息子、娘たちの殺戮戦が起こったのです。

 それゆえ、神様がこれを復帰するための救援摂理をしました。救援摂理は復帰摂理なので、失ってしまった真なる心と体が一つとなった息子、娘となり、絶対的に一つになる夫婦、息子、娘が絶対的に神様の真の愛を中心として完全に一つとなって、神様と永遠に共に暮らすことのできる真の家庭を、新婦格であるキリスト教と連結させ、神様と血縁関係を結ぶことによって、神様の真の愛で統一された家庭、氏族、民族、国家、世界を再び編成しなければならないというのです。これが神様の救援摂理の完成なのです。


韓鶴子総裁講演集」より