韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

真の家庭と私⑤

良心は真の愛を願う

 神様が絶対的なお方であられるなら、一人でいて寂しいでしょうか、幸福でしょうか。皆さんがいくら大統領でも、妻がいなくて一人で暮らすならば、かわいそうです。愛の対象がいなければかわいそうになるのです! 神様も相対が必要でしょうか、必要ではないでしょうか。いくら神様でも、一人では寂しいのです。人間はお金や知識、また権力がなければ寂しいのですが、神様はお金や、知識や、権力は必要ありません。

 神様に一番必要なものとは何かが問題です。神様を何といいますか。神様は愛の王である!もし神様が愛の王であり、新郎であれば、相対者たる皇后が必要だという話が絶対的原理です。

 では、絶対的な神様の前に愛の相対になるお方は誰でしょうか。それは真なる人間です!皆さんはお金や、知識や、権力を必要としますが、妻がいなければみな意味がないのです!夫には妻や、子供が必要であり、妻にも夫と子供が必要なのです! そのような愛の対象が暮らす所が家庭です。違いますか。私はここで、良心の欲望をいっぱいに満たす愛の主体である神様に侍り、その神様の愛の対象である男性と女性が一つになって、その愛で息子、娘と幸福によく暮らす。その家庭こそ、神様の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発の基地にならなければならないのです。

 私たち人間も愛する相対が、自分より何千万倍の無限大の価値ある存在であることを望むのと同様に、神様も自己の愛する相対が、無限なる価値ある存在になることを願うのです。そのような人が真なる人間でした。皆さん! そのような男性と女性が、正にアダムとエバだったという事実を知りませんでした。

 神様が主体なら人間が対象の立場にある存在なので、神様の分身ではありません! 神様もまた、他の別個の人格者だというのです! そうなり得る対象の前に、神様の何千万倍の期待できる価値的な存在になることを願う欲望を可能し得る、私たち人間に許してくれたのが良心の欲望だということを、私たちは知らなければなりません。

神様と人間の真の愛

 神様が創造当時、理想として願った真なる愛、偉大なる愛を中心として、人間との愛の関係を結んで一つになるこのような神人愛一体の家庭を築いたなら、今日、私たちは天国だとか地獄だとかを心配することなく、ただそのまま天国にみな入るようになっていたのです。

 ここで問題になるのは、神様の真の愛と人間の真の愛が、一つの主体的愛と相対的愛で一つになって、一点から出発しなくては二つの愛の方向と目的地になるというのです。このようになるとき、神様と人間が願う絶対的理想世界は見いだせないのです。この二つの愛が一点から出発できることを願われた神様のみ意は、堕落によって完全に停止してしまったのです。

 サタンの愛を中心として偽りの父母が生まれ、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだこのような後孫なので、これは全部地獄に行くのです。天国とは関係がないのです。ですから、肉身の欲望を抑えて、心を思いどおりにすることのできる人を中心として、良心を通して神様の愛を占領しなければならないという事実を知りませんでした。


韓鶴子総裁講演集」より