韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

真の父母と成約時代④

命懸けのマリヤの路程

 それ以来、ユダの血統は子々孫々発展を繰り返しながら、氏族・社会・国家基準へと拡大していきました。この血統を通じてその2000年後、イスラエルにマリヤが生まれました。マリヤの責任は、長子権を復帰するためにカインとアベルを一つにし、家庭・氏族・国家基準まで、み旨にかなった蕩減条件を立てることでした。マリヤは、神様のお告げを受けてイエス様を身ごもりましたが、周囲の目から見れば自分の父母や、婚約者ヨセフを裏切った形でした。その当時、どんな女性でも、夫以外の男性の子供を身ごもったならば、石打ち刑にされるのが慣例でした。しかし、アダムの立場にいたヨセフが勇敢に進み出て、婚約者のマリヤを見捨てず、保護してあげました。

 マリヤの信仰と、リベカとタマルの貢献によって、マリヤの胎内に宿っていたイエス様に対し、サタンは所有権を主張することができませんでした。イエス様は神様の完全なる直系の血統の下で生まれました。堕落した血統を転換した後に、神様のひとり子として生まれたイエス様は、聖人の中の聖人であり、真の血統の祖先となるのです。

 マリヤは復帰されたエバの立場で、アベルの位置にいたイエス様と年上の従兄である洗礼ヨハネを一つにしなければなりませんでした。イスラエル国民とユダヤ教カインとアベルの立場でイエス様をメシヤとして受け入れるために、この2人が一つになることは絶対的に必要な条件でした。洗礼ヨハネは兄さんでした。数多くの人々が彼に従い、広く尊敬されていました。イエス様が弟子たちに言われたように、洗礼ヨハネの使命は、「来たるべき主の道を直くするためにエリヤが先に来る」と言われた旧約聖書の預言を成し遂げることでした。

 果たして、洗礼ヨハネは摂理の観点から見て、責任を果たしたでしょうか。ルカによる福音書には、「洗礼ヨハネはエリヤの権威と使命をもって来る」と記されています。しかし洗礼ヨハネは自分がエリヤであることを否認し、ヨルダン川でイエス様に洗礼を授けた時、天が開けて受けた確かな啓示にもかかわらず、イエス様がメシヤであることを疑いました。

 また、その当時の人々の目には、洗礼ヨハネは宗教指導者として非常に尊敬を受けた人物でした。一方、イエス様は貧しい大工の仕事をする私生児として映りました。したがって、洗礼ヨハネの助けなしには、当時のユダヤ人たちがイエス様を信じて従うことは不可能でした。それで、イエス様は自ら、自分でメシヤを宣布しなければならない困難な道を出発しました。

 洗礼ヨハネは、イエス様がイスラエルの宗教指導者として登場できるように助けなければなりませんでした。洗礼ヨハネがその使命を完遂していたならば、アベルの立場にあるユダヤ教と、カインの立場にあるイスラエルの国がイエス様を中心にして一つになるはずでした。そうなってさえいたならば、その時“小羊の婚姻”がなされ、イエス様は人類の真の父となり、新婦は人類の真の母となっていたでしょう。

 イエス様の福音は、彼が40歳になる前の7年以内に、世界的に急速に伝播され、アジアとローマまでも従わせていたでしょう。最終的にイエス様は新婦と共に、個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国をつくっていたはずでした。

成就されなかった夢

 しかし、この夢は実現を見ずに終わりました。いわゆる宗教家と自称する人たちが、イエス様のみ言を拒み、ついには十字架に追い込んでしまったからです。イスラエルの不信仰に直面したイエス様は、人類の霊的救援のために命を捨てる決意をされました。

 したがって、霊的・肉的両面の救いを成就するために、イエス様は再び来なければなりません。このような理由で、人間の心はイエス様を通じて神に近づくことはできますが、体はいまだに悪の誘惑圏に属しています。聖パウロですら、肉身と良心の欲望とが葛藤し、矛盾の中で苦悩しました。多くのキリスト教の偉大な福音伝道師たちも、このような矛盾に苦しみました。

 成約時代を開始するために、何よりも重要なことは、私たちはみな、霊肉ともの救いを受けなければならないという点です。イエス様が十字架上で亡くなられることによって、右翼と左翼の闘争が始まりました。これは、アダム家庭の堕落によって、カインとアベルが分立したのと同じです。またキリスト教イスラム教が出現し、戦いを開始しました。このような分立闘争は、イエス様が十字架上で亡くなることによって生じたので、イエス様が再臨する時には、すべてが一つに統一されなければなりません。

 神様がイエス様の再臨を準備するためには、世界的次元でのカインとアベルの勝利的和解が必要でした。第2次世界大戦の時に起きた一連の出来事を中心として、このような摂理が展開されました。キリスト教圏を代表したイギリス、アメリカ、フランスの連合国家群はアベルの立場に立っていました。一方、枢軸国家である日本、ドイツ、イタリアは国粋的軍国主義の影響を受け、カインの立場に立っていました。

 この戦争は、世界的次元にまで拡大されたカインとアベルの対決を意味していました。連合国が勝利したのち、キリスト教を中心として、世界平和を実現するための大々的な努力がなされました。イギリスは世界的なエバ国の位置に、そしてフランスとアメリカは、それぞれカインとアベルの位置に立って、共に再臨主を迎える準備を完了していました。しかし、そのような準備にもかかわらず、神様の摂理は、その時成し遂げられませんでした。神様の代身として、み言をもって来られた一人の方がいらっしゃいますが、その歩みは数多くの形容し難い迫害を受け、世界からも理解されませんでした。2000年前のイエス様の立場と全く同じでした。イエス様の時代、イスラエル民族が「火の車に乗って天から再臨するエリヤ」を待っていたように、キリスト教徒たちも再臨主の顕現を「雲に乗って天から降臨するもの」と信じて待っていたのです。

 黙示録には、イエス様が弟子のヨハネに「主は新しい名でもって来られるだろう」と言われた個所があります。これはエリヤがそうであったように、イエス様も再臨の時には別の人の姿で来られることを意味しています。

 神様は、私の夫(文鮮明先生)を選ばれて韓国のキリスト教徒たちに、新しい真理のみ言を伝えるようにされました。しかし当時、キリスト教界の指導者たちは一介のみすぼらしい若者にすぎない夫が新しい真理のために選ばれたという可能性すら無視してしまいました。新約時代は旧約時代の延長なので、当時のユダヤ人たちがイエス様の顕現を信じなかったように、韓国のキリスト教指導者たちも、再臨主が人間として肉身をもって地上に誕生するとは信じることができませんでした。

 もしもその時、キリスト教界と夫が一つになっていたならば、地上世界はもちろん、天上世界にまでも天国がつくられたはずでした。新約時代が終わる1945年から1952年までの7年間に全世界が神の摂理に従って一つに統一されていたはずです。

 しかしその当時、宗教指導者たちは夫と一つになるどころか、夫に従う信者たちの数が日増しに増える理由を知ろうともせず、盲目的に嫉妬し反対しました。そればかりでなく、夫についての邪悪な嘘まで捏造して広めました。夫を人格的に葬るために、夫の教えとは正反対に、淫乱だ、貪欲だ、との噂のくびきを夫にかけてしまいました。


韓鶴子総裁講演集」より