韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

私たちはどんなこともできる

1983年3月13日、東京教会で行われた来日歓迎式で語られたみ言ことば


皆さんの苦労は父母を慰める孝行の道

 お会いできてうれしく思います。到着してこの新しい本部教会の建物に入った時、限りない感激にひたりました。私(韓鶴子総裁)一人が来るのではなく、お父様(文鮮明先生)と一緒にこの建物の中で皆さんにお会いできれば、どんなに良かったかと考えてみました。

 本当に皆さん、御苦労が多かったことでしょう。これまで私が公式的な集会で語ることをためらったその理由があるとすれば、それは心情的に到底耐えることのできない、しこりのようなものがあったためです。それでその感情を抑えて語ることができるように、いろいろ努力してまいりました。しかし皆さんに対してみると、そうではありません。父母が子女に対するそういう立場で考えてみるとき、父母が子女に対するのに、何か堅苦しい言葉が必要でしょうか。何の言葉も必要がないと何度も感じるようになり、このように涙が先にあふれるのをどうすることもできません。

 今まで皆さんがお父様のみ言(教え)を受け入れて、内的、外的にいろいろと苦労する姿を、折々訪ねてくる指導者の報告を通して多く聞いています。私も本当に何をもって皆さんを慰め、激励することができるかと、随分考えました。

 そしてお父様に侍って世界各国を巡回する時、多く感じたことがあるのですが、「今、まさにこの時に、お父様のみ旨を受け入れ、お父様の手足となって働いてくれる人はいったい誰だろうか」と、たびたび考えてみました。

 栄光から出発しなければならない歴史でしたけれども、アダムとエバの失敗によって、恨み多い復帰歴史として出発しなければならなかった天のお父様の歴史が思われます。同様に、お父様お一人で歩まれた生涯も、迫害と苦難と絶え間ない受難の路程を通して今日の統一世界の基盤に広げるまで、誰も言葉では表現できない、そのような秘められた事情が多いことを私たちはよく知っています。一言で言えば、涙なしでは語れず、身の置きどころもない、血と苦痛の歴史であることを、皆さんは体験されたことでしょう。

 このような歴史過程を通して、今日多くの国で成就される役事を見るとき、本当にお父様が重要であり、貴重であることを骨身にしみて感じます。

サタンと法廷闘争をされるお父様

 サタンは私たちに余裕を与えません。今回アメリカであった裁判を、皆さんは詳しく知っておられるでしょう。必ず天が勝利を収められることを私たちは知っています。しかしその過程においてお父様は、陰に陽にとても疲れていらっしゃいます。言葉には出されませんけれども、内的には血のにじむような闘いをしていらっしゃるのです。その激しい闘いの中で成し遂げられたアメリカでの多くの仕事は、皆さんもよく知っておられることでしょう。「ワシントン・タイムズ」の創刊や2度にわたる巨大な祝福の行事など、ほかにも量り知れないほど多くのことをなさいました。

 最近、「ニューヨーク・タイムズ」がホンジュラスのカウサ活動(勝共運動)について報道したことがあります。その記事では、カウサ活動は文牧師が後援している団体だと報道しました。

 この世の人々は、理解ができないでしょう。南米や中米はもちろん、アフリカに至るまで、世界百37カ国に宣教師を派遣しており、そこではみ言の炎が燃え上がっています。

 私がなぜこのようなことをお話しするのかといえば、子女が物心つく時分には、もうその父母は年老いてしまっているではないか、と考えるからです。今、小山田秀生副会長(当時)が私についていろいろ話してくださり、ここに来るようになった動機について説明してくださいました。

 今まで私は、み旨に従ってお父様に侍りながら、お父様を誰よりも観察してきました。復帰の恨み多い歴史が、ともすると後退するか、複雑にもつれやすい時点で、お父様は何とかして歴史をお1人で正していこうと、心身を投じられたことが多くあります。しかし今、それをお話しする時間はありません。特別に天が私を祝福してくださり、本当に誇らしい13人の息子と娘を与えてくださったことに対して、心から深く天の前に感謝を捧げたいと思います。感謝する生活の中でも切ないことは、お父様がみ旨のために心を砕き苦労される姿です。お父様はよく「私は既にいつでも死ぬ準備ができている」とおっしゃいます。そのような言葉を聞くたびに、私は、何でもないことのように聞き流してしまうことができません。

 歴史的、摂理的に“エバの使命”が与えられた日本、特に今日の日本の幹部である中心メンバーが集ったこの場で、母として私はお願いしたいのです。私たちの誇りがあるとするなら、私たちの喜びがあるとするなら、そして私たちの幸福があるとするなら、一人のお方であられるお父様なくしては、それらが意味のないものになるのです。

祝福家庭の願いは地上天国

 日本にも数千の祝福家庭があります。祝福家庭の願いは何でしょうか。統一教会の願いは何でしょうか。それは地上天国であり、神様と真の父母(文鮮明先生、韓鶴子総裁ご夫妻)に共に侍って(共に仕えて)生きたいということではないでしょうか。私たちの時代にできないとするならば、私たちの子孫を通してでも、必ずその日をこの地球上に来たらせるのが、父母の責任ではないでしょうか。統一運動、統一の歴史が、必ずこの地上に完成を見るのは間違いありません。可能ならば私たちの代で、今この時代に真の父母と共にみ旨(神の救済摂理と理想世界実現)を完成させて、それを見た後世の人々が本当に誇らしく思える家庭となり、私たち自身となるように、私たちは切に願っています。

 私たちは既に決心して立った身です。固く覚悟している私たちが何を恐れるでしょうか。今アメリカでは、3月1日を期して日本食口が全員動員されました。ニュースを通してよく知っておられるでしょうけれども、その中には祝福家庭として多くの子女をもつお母さんもいます。あるお母さんが語った話ですが、「本当に幼い子供たち、1、2歳から3、4歳までの子供たちを全員置いて、決心して出るのはとても難しいことでした」と証しするのです。「いったんみ旨に従って、子供たちをあとに置いて出てきたこの身であるのに、できないことがどこにあるでしょうか」という話を聞きました。私たちは何でもすることができます。

 何でもできるとするならば、お父様が国家や人々のいかなる拘束も受けずに、心の願うままに、この地に遣わしてくださった天のみ旨に対する使命を、この時代にすべて果たせるようにしてさしあげなければならないでしょう。そのためには、皆さんが努力を続け、精誠を尽くしてくださるよう心から深く祈願いたします。

 皆さんが誰よりもお父様を愛しておられることを、私はよく知っております。お父様もまた皆さんが必要なのです。世界をどんなに回ってみても、事情と心情が通じるのはやはり日本食口の皆様ではないかと思います。お父様は皆さんを誇らしく思っていらっしゃいます。

 余談になるかもしれませんが、時間が許されるなら、日本中をくまなく回ってみたいと切に思います。どうしてもできなければ、皆さんが苦労している一個所でも、その中で代表される所に一度行ってみたいのです。ありがとうございました。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より