韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

責任を果たす子女になろう(1)

 1984年10月24日、ニューヨーク、イースト・ガーデンで行われた第25回「子女の日」記念礼拝で韓鶴子女史が語られたみ言


「子女の日」に思うこと

 韓国の昔の言葉に、「父母がいる時は父母の有り難みが分からず、父母が既に世を去ってから、孝行できなかったことについて自責し、悔やんで、自分の心を慰めようと精いっぱい頑張る」という言葉がありますが、それが不孝ということです。

 私たちがよく知っているように、堕落した人間においては、「子女の日」というものはあり得ず、「真の父母」という言葉もあり得ません。何のために生まれ、何のために生きているのか分からない、そのような状態の中で、「子女の日」とか「真の父母」という言葉が出ることはあり得ず、真の愛の関係もあり得ないのです。天の父は、言葉では表現できないあらゆる蕩減の路程を歩まれました。真の父母一代において迫害と反対の中の蕩減路程を勝利することを通して、真の父母によって「子女の日」が生まれるようになったことを思うとき、感謝を捧げると同時に、過去を回想せずにはいられません。

 皆さんは、「自分たちは選ばれた者たちだ」と言っています。事実、私たちは選ばれた人々です。ところが、皆さんが最初、教会に接した時の姿と、すべてを知ったあとの今の皆さんの姿について見るとき、神様が見られる基準がどうであるかを考えて、反省もしたことでしょう。

 神様の歴史の中で、選ばれた人物と選ばれた国を立てるときには、全世界を考えて立てたのではないでしょうか。

 私たちはイスラエルの歴史をよく知って、そのような前轍を踏んではならないと誓い、反省しながらも、また私たちの代でそのような道を歩んではいないかと考えずにはいられません。いつもお父様(文鮮明先生)が、「基盤がなければ滅びる」ということをよくおっしゃるのを、皆さんは多く聞かれたことと思います。お父様が父母の立場で神様の代身として行かれる道は、世界を抱かなければならない立場です。子女がすべて整えることができない中で、行くしかない苦難の道であり、十字架の道ですが、それはまた愛の道でもありました。

私たちみんなが一つになろう

 今度の期間に皆さんが何よりも深く悔い改め、叫ばなければならないことは、「一つになろう」という運動ではないでしょうか。もちろん個人においては、心と体が一つになる立場であり、み旨を中心として一つになることが重要です。皆さん、子女の立場で考えるとき、兄弟間で一つになるということは難しく、骨が折れることですが、私たちが必ずなさなければならないことであると思います。

 それで、皆さんが真の父母を中心として自分を主管する立場で、三位基台をなす3人が完全に一つになってその基台を広げていくならば、み旨が成就されていくでしょう。世界の縮小体とみなすことのできる四位基台において、横的数字は3人ではないでしょうか。四位基台の横的3人が一つになれば、世界を一つにすることはたやすいことだと思われます。そのことはまた、世界的に広げてみるとき、世界は3人が一つになって成す四位基台の拡大的形態となっていると見ることができるのではないでしょうか。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より