韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

勝利の日を待ちながら(1)

 1986年8月20日、ニュ―ヨーク、ベルベディアで行われた「一勝日」1周年記念式典でのみ言

再臨主は人類の真の父母

 きょう、この場に元気な姿で集まった皆さんを見ると、とてもうれしく思います。また1年前、ダンベリー(刑務所)の苦難を勝利され、出監された時を回想しながら、きょう、このようにお父様(文鮮明先生)に侍って、皆さんと一緒に「一勝日」を記念する場をもてたことを、神様の前に心から感謝するものです。

 私たちが原理を学んでよく知っているように、神様のみ旨は再臨主をこの地上に送って、その方を通して本来の創造目的を全面的に成就しようとすることではなかったでしょうか。

 それゆえに、再臨主は、人類を神様の前に導かなければならない使命をもって来られる、人類の真の父母であるといえます。

 神様がこの地上に「真の父母」の名を発表されるまで、あらゆる面において言うに言われぬ苦難の路程を歩んでこられたことを、皆さんはみ言と歴史的事実を通して、よく知っていることと思います。人類を救援するために来られるメシヤ、すなわち真の父母は、神様の創造目的である天国を建設しなければならない使命をもっておられる方です。その天国は、地上にまず先につくらなければならないのであり、それが地上天国なのです。

 私たちが目標としている地上天国創建のために、私たちの行くべき道は、実体的に今でも多くの障壁が残っているものと思います。

 お父様のダンベリーの苦難の歴史は、私一個人において家庭的に見るとき、家長を失ったのと同じ立場であり、神様の大きなみ旨において国家的、または世界的な立場から見るときにも、統一教会の食口(メンバー)たちや人類が、一つの中心によく侍ることができなかったという立場であったと考えられます。

 家庭的に見るとき、皆さんもよく御存じのように、私は多くの子女をもっています。それは私にとって、大して難しいことではありません。問題は私自身が、子女たちを教育するとともに、家庭を無事に守って、お父様に心配をおかけしないことであり、さらには、妻の立場でどうすればより良く内助できるかということです。

この時代における私たちの責任

 教会や食口たちも、お父様がこれまで40年の生涯を通して実際に身をもって示してくださり、多くのみ言を語ってくださったので、私たちの目標がいかなるものであり、行くべき目的地がどこであるかをはっきり知っています。またその間、お父様の近くで育てられた多くの元老食口たちや幹部たちも、子女の立場から見るとき、一つの目標に向かっていくにおいて、本当に最善を尽くしたかということを考えてみてください。そうでなかったならば悔い改めて、新しい心をもって出発しなければなりません。

 教会を通して数多くの宗教を統合し、また私たちが国を立てて世界を一つに結んだとしても、その時、私たちがその国において真の主人を迎え、共に同参することができるでしょうか。そう考えざるを得ない立場に立つようになった私の心情は、言うに言えない思いで、錯綜するばかりです。

 三女の恩進は乗馬をしています。その乗馬競技は、ただ馬に乗って走ればいいだけと思うでしょうが、そうではありません。馬と人が呼吸を合わせ、障害物に向かって突進しなければ、チャンピオンになれないばかりでなく、事故が起きるのです。それと同様に、私たちが歩んでいるみ旨の道も、容易くはないということを感じます。

 きょうの「一勝日」は率直に言って、2度と思い出したくない、できることならば取り去ってしまいたい日でもあります。私がなぜこのようなことを言うかといえば、あいさつの言葉で「この日を再び迎えることができてうれしい」ということを言ったのですが、それは、このような元気な姿でお父様に侍り得るこの場をもてたという事実に対して言ったことであり、すべてを表現し得ない内面の表現なのです。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より