韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

誇って見せることのできる実績をもとう(3)

お父様からかえって慰めを受ける

 私(韓鶴子女史)は、非常にせっかちです。一瞬一瞬が本当に惜しい時間なのですが、このように集いをもつということは、ある面において必要でもあります。この集いが終わったら、皆さんはさらに熱心に走ってください。

 皆さんは、持てるものをすべて持ちました。武装すべきものは、これ以上ありません。これからは刈り入れることをしてください。

 今、アメリカには多くの日本の食口(メンバー)たちが来て働いています。今、お父様(文鮮明先生)が願っておられることの一つは、韓国の幹部はもちろんですが、特にアメリカの食口たちが日本の食口と一つになれ、ということです。お父様は避けることのできない牢屋の身となって苦痛を受けておられますが、日本の食口たちはこの時代において世界的な十字架を背負っています。

 そういう点から見るとき、今はアメリカの食口の皆さんが日本の食口たちと一つになることのできる良い機会であり、この機会を皆さんが逃すことになれば、歴史においてどのように申し開きをすることができるだろうかと言われました。

 では、最初の日に面会した内容を報告いたしましょう。譽進(長女)、孝進(長男)、顯進(三男)以下、6人の年長の子供たちを連れて、朝8時に面会に行きました。お父様が出て来られる前に、面会者名簿に署名しました。心の中でお父様をお待ちする私の姿はどんなだろうかと思いながら、待ち焦がれる心で隅に座っていると、出てこられました。最初に目にとめられたのがディビッド(米教会幹部)でした。お父様はディビッドに握手をされて、私と子供たちが座っている所に来られました。私の心と表情を自分で見ることはできなかったのですが、お父様は極めて自然な表情でした。今朝もそのようなことを申し上げたら、一言おっしゃいました。御自分も想像することができなかったことであり、部屋に誇って見せることのできる実績を持とうとしている人たちみんながそのようにお父様に好意的によくしてくれているし、何かもっとしてさし上げたいと思う、そういう雰囲気であることを幾度もおっしゃいました。

 環境がそうであることももちろん事実ですが、全体的な神様のみ旨を前にして見るとき、十分に発揮できないある制限を受けておられるということを思わなかったわけではないのです。私はもちろんであり、皆さんも大体聞いて御存じであると思いますが、皆さんはお父様がどんな姿で現れたか、最も気掛かりなことでしょう。一言で易しく表現すれば、色は濃いべージュ系統で、カーキ色というより、べージュ色に近い予備軍の服装のようでした。靴ももちろんそこで出してくれる靴をはいておられ、それは青緑色のカーテンとポリエステルを混ぜた布で作ったもので、スリッパのような靴でした。韓国では囚人たちは大抵、名札ナンバーをつけるのですが、お父様にはそれがありませんでした。それでしばらく安堵したと言いましょうか、心が少し楽になってくるのを感じました。

 あとで、そこに長く服役している人たちが面会所に出てくるのを詳しく見ると、ズボンの後ろ側のベルトの部分に番号がついているのが見えました。お父様は上着を外に出して着ておられるので見えなかったのですが、ほかの人たちは上着をズボンの中に入れているので、番号が見えたのです。

 朝8時30分から面会が始まりました。その日だけは朝の食事が10時30分に始まるのだそうです。そのため食事は召し上がられなかったのですが、食堂はカフェテリア式だということです。そこで「何か召し上がらなければ」と申し上げると、「ああ、私は食べてきた」と言われるのです。「まあ、まだ朝食の時間が来ていないのに、何を召し上がったのですか」と尋ねると、クッキーとお茶などを召し上がって出てこられたそうです。それで「どのようにして召し上がったのですか」と尋ねると、隣の人たちがみんな来て、これも食べてごらんなさい、あれも食べてごらんなさいと言いながら、何でも持ってきてくれたので、食事ができたというのです。そのように、差し上げたいし、手伝ってあげたいという雰囲気である、と言われました。

 ところが、そこでは良い食べ物を用意することができず、ただサンドイッチを買ってさしあげただけでした。子供たちとお話を続けられるうちに、一人、二人、面会に来る人たちの数が増えて、お父様と一緒にいる人たちの姿が多く見えました。

 初日と同じように、金孝律氏(文先生の補佐官)は許可されなかったのですが、書類問題もあり、いろいろと往来しなければならない問題があって、一緒に行きました。

 子供たちがお父様と話をしている間に、面会する一人と言葉を交わしたのですが、その人は、けさお父様と握手をしたと誇らしく話しているのです。彼は「自分がいる間はレバレンド・ムーン(文師)を本当によく世話しながら、時々運動も一緒にして、おなかの肉も減らし、英語を勉強するのに助けになってあげたい」と言うのでした。

 面会室に座っている間、多くの訪問客が入ってきました。黒人も1人、2人いましたが、ほとんどが白人であり、特に黒い頭だけが丸く集まる所は、私たちの所しかありませんでした。雰囲気で、人々がみんな善良であるという感じを受けました。しかしその中には、監房の中にいる人たちの思想や生活態度を観察して、管理所に報告する人もいるようでした。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より