韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

お父様の代身者となろう(3)

囚人番号をつけられたお父様

 そこに入所すると、1週間はオリエンテーションを受けるそうです。ところで他の人たち、入所して何カ月か経つ人たちを見ると、囚人番号がありません。ズボンの後ろのほうに番号があるのですが、頻繁に洗濯をするので、消えてしまって見えないのです。お父様(文鮮明先生)は入所されて1日しかたっていないので、まだ番号をもらっていないようでした。お父様が囚人番号をつけて歩まれることを考えると、本当に申し訳なく思いました。いったいお父様に何の罪があって刑務所に入らなければならず、凶悪犯たちがつけて歩く囚人番号をつけなければならないのでしょうか……。

 何よりも心配されるのは、お父様がそこで生活する間に起こるかもしれない不慮の事故、すなわち身辺問題でした。いつも私が心配すると、お父様は心配するなとおっしゃいます。超然とした態度で、却って私を安心させてくださるのです。お父様が寝泊まりされ、生活される部屋は、4、50人くらいが起居することのできる所だそうです。現在は40人余りが共に生活しているといいます。お父様は神山氏と一緒に、二段ベッドを使用されるようです。それは、そこの責任者の配慮があったからだそうです。

 お父様の隣のベッドで生活する人が朝来て、あいさつをしながら握手をしようとし、お互いにあいさつを交わしたそうです。ちょうど彼も夫人が面会に来ており、面会室に出てきたので、金氏がお父様と話をしている間に、その人としばらく話を交わすことができました。彼は私に「今朝、レバレンド・ムーンとあいさつしました。これから毎日一緒に運動をすることになり、レバレンド・ムーンのお腹の肉も減らしてあげようと思います。また英語も教えてあげましょう」と言ってくれたので、とても有り難く思いました。

 ところで英語の話が出ましたが、裁判を担当していた判事が、お父様がそこで生活する間に英語を教えてあげなさいと、特に言っていたそうです。それでお父様も、そこに入る時、英語の本を4冊持っていかれました。お父様の英語の勉強は、その人が了解して教えてあげるから、任せておきなさいというのです。

生き別れの痛みを踏み越えて

 今になって皆さんに話すのですが、お父様がダンベリーに出発される時は、本当に大きな挫折と痛みを味わいました。生き別れになると思うと、目の前が真っ暗になり、全身の力が一つ残らず抜けてしまいました。それでお父様に「私は本当にこんなになるとは夢にも思いませんでした。まさかお父様がダンベリーにまで行かれるとは思いもしなかったのですが、このように現実となってみると、私自身も今、どうすればよいか分かりません」という内容の話をせざるを得なかったのです。けれども、今日1日、お父様が子供たちと対話されながら、「私は現実の中においても絶対に損害を受けないから、心配するな」と何度も言われるのを聞いて、多少は安心することができました。

 お父様は私(韓鶴子女史)に、「今なされることを見て、これからオンマー(お母さん)が感謝の祈祷を捧げなければならないだろう」とおっしゃいました。お父様のみ言の中には、苦難を勝利に変えてしまうという確固たる意志があり、かえってアメリカと世界が救援される道が開かれるであろうとおっしゃいました。

 皆さんにお願いしたいことは、何としても皆さんが心を一つにして、お父様が願っておられることを早く、そして大きく成功させ、お父様が理にかなって早い時期に出てこられるように、内的な祈祷はもちろんですが、外的な責任も果たしてくださることを心から願うものです。今私たちが行っている仕事に全心全力を尽くして、一日も早くお父様が喜びをもって帰ってこられる日をつくってさしあげなければならないと、何度も誓いながら帰ってきました。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より