韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

お父様の代身者となろう(2)

お父様と苦難を共にした子女たち

 しばらくして、私たちに来るように言いました。お父様(文鮮明先生)のために1人の息子が霊界で積極的に保護してくれていることを考えると、少しは安心しました。またお父様は、今イースト・ガーデンにいらっしゃらないのですが、孝進がお父様の代わりに責任をもつ立場で私たちによく侍ってくれますし、「自分の本分を尽くします」と何度も言いながら「心配なさらず、お元気でいてください」とお父様を慰める時、本当にうれしく思いました。

 私(韓鶴子女史)自身、一つ希望的に思えるのは、それが法的にどのようになるかはよく分かりませんが、3カ月後には仮釈放が可能になるようです。そのため、仮釈放が可能であるかどうかについての最初の対話が、すぐにもたれるようです。部署の人がそのようなことを話し、「レバレンド・ムーン(文師)に対しての仮釈放問題が非常に重要で、関心ある問題になるであろう」と言いました。その時、そういういろいろな態度から見て、お父様に非常に協力的な人たちだという良い印象を受けました。

 お父様の服装は、私が「ハイヌーン(真昼の決闘)」を連想したり、またその映画で囚人たちの服装を見たとき、しま模様の服を上下に着ていたのですが、それをいつも心痛く思っていたのです。映画を観てもみんなそうなので、お父様にお会いしたらできる限り知らんふりをしようと思っていましたが、面会室に入ってこられるのを見ると、一緒に行ったマイク氏の表現では、お父様の服装はツナを獲るとき着用された服のようだと言いました。しかし私が見たところ、ちょうど訓練兵たちが着る作業服のような、カーキ色というより、ベージュ色のような作業服を着ていらっしゃいました。

 アメリカの人たちは、ズボンの中に上着を入れていましたが、お父様はズボンの上に上着を出しておられました。ランニングシャツや下着などすべての衣服一切は、みんなそこで支給されたものを着用することになるようです。靴も見せてくださったのですが、それはとても濃いカーキ色でした。そして布で作ったもので底が少し薄いようでした。また靴のはき口がブーツ状に非常に高く上がっていたのです。

 そこで生活する人たちが出てくるのを見ると、服は囚人服でみんな同じ布ですが、靴は、ほとんど全員がスニーカーをはいていました。それでお父様にもそれを買ってさしあげればいいと思いましたが、すぐにはどうすることもできませんでした。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より