韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

「神様の神秘な摂理」(1)

1991年9月23日、札幌グランド・ホテルで、北海道の食口たちに語られたみ言

 皆さん、父母様にとてもお目にかかりたかったでしょう? 私が誰か分かりますか。先ほど廊下を過ぎてきた時、祝福家庭の4、5歳くらいの子供たちに会ったのですが、あの子供たちが、「オモニ(お母さん)は、お写真で見るお母様(韓鶴子総裁)とは違いますね」と言っていました。眼鏡を掛けていたので、違ったように見えたのでしょう? なぜ眼鏡を掛けてきたのかというと、あの後ろに座っている皆さんの顔までも、はっきりと見ることができるようになるためです。

 きのうは聖日(日曜日)でしたので、皆さんは敬礼式を行い、み言の奉読も行ったことと思います。ところで、なぜ私が今回、巡回の日程にない北海道に来たかったのかを考えてみました。日本といえば、世界的に経済の一等国と理解していますが、私(韓鶴子女史)が今回巡回する所は、東京、名古屋、福岡等、主に大都市で、みな名の知られた所なのです。それで、人々の関心があまり向かない所、それに、最も北の方へ私は行ってみたいと思ったのです。北側は最も天に近いし、それから気持ちとして、神様とも近いような気がしたのです。ここ北海道に来て、山や川を見て、少し疎外された地域だという感じがしなかったわけではないのですが、山河もきれいだし、また皆さんの顔を見ると、みな若いですね。それに、とても元気旺盛で勇ましく、意気衝天している皆さんの顔を見て、私は満足しています。

 きのう、こちら北海道に来て、二つのことを学びました。その一つは、きのう、昭和新山の火山の噴火口へ行ってみました。ところが、それが不思議なことに、その噴火口は1943年に噴火が始まったのです。お母様と年を同じくしているというのです。それから、もう一つは、アイヌ民族の村を訪ねましたが、アイヌ族が日本の原住民ですから、日本の開拓は、他の人々によってなされたということを学んだのです。

 きのう、神山威会長(当時)から「お母様、どうか食口たちのためにみ言を下さい」と依頼されたので、どんな話をしてあげたらいいのだろうかと考えてみました。

 私たちは、お父様(文鮮明先生)から数多くのみ言を学んできました。そして、皆さんが熱心にそのみ言を実現し、実践しようと努力していることも、私は知っています。皆さんが最も知りたいと思っていることは、どのようにしてお母様が、今のお母様になられたのかということではないかと思います。皆さん、知りたいですか。多くの内容のうち、時間の関係上、一部だけを話してみたいと思います。特にタイトルを付けるとすれば、「神様の神秘な摂理」となります。先ほど皆さんに、私の生まれた年を言ったのですが、私が生まれた当時においては、私がなぜ生まれたのか、将来、いかなる使命を持つようになるかは、もちろん知らないまま生まれたのです。

 現在、韓国のキリスト教の歴史は、100年を少し超えるのですが(注:カトリックの歴史は200年、プロテスタントの歴史は100年といわれている)、我が家はキリスト教の家門だったのです。キリスト教信者たちの中でも、篤実な信仰を持とうと努力する、そういうような家庭だったのであり、特に再臨主は雲に乗って降りて来られるというより、肉体をもって、人間として地上に来られるという内容を信じていました。

 韓国はとても珍しい国だといえます。韓国は、どんな宗教の発祥地でもなかったのですが、すべての宗教が韓国で花咲き、実を結ぶ結果となったのです。キリスト教の前は儒教で、儒教の前は仏教であったのですが、すべての宗教が韓国で、大変旺盛になったのです。実を結んだすべての宗教を統合し、再び、新しく大きく実を結んだのが統一教会なのです。

 神様が天地を創造なされ、6日間にわたって万物まですべて創造され、それから最後に人間を創造されてから、「良かった」と語られたのです。
 神様が韓国にみ旨を立てて、アダムを送ってくださり、今やアダムを通じてエバを探し出すようになる神秘な摂理について、私自身の例を挙げながら、少し私自身の話をしてみたいと思います。

 アダムとエバの堕落以後、アダムを立ててエバを復帰するということは、そんなに容易なことではありません。数多くの条件が必要でしょうが、天が特別に備えるべき条件としては、3代が各々“独り娘”を持つ家系を何よりもまず選ばざるを得ないというのです。この3代というのは、堕落したすべての女性たちを総合する意味があります。おばあさん、婦人、それから女の子というように、すべての女性はみな、この3世代の女性に属する、そのような基準になるのです。

 今から、その3代の独り娘の条件について述べてみたいと思います。皆さんは、復帰摂理において、特にエバ、女性の使命の重要性については、多くのみ言を聞いてよく知っていることでしょう。

 私が生まれた時は、その当時、天から特別に準備された、名の知られた有名な牧師たちがいたのです。李龍道、李浩彬牧師、その他の牧師たちがいたと記憶しています。私のお母さんが洪氏であり、私のお祖母さんは趙氏ですが、お2人が、これらの牧師たちと大変近い間柄だったと聞いております。私のお母さんとお父さんが出会うようになったのも、天の啓示によってなされたことなのです。「お前たちが一緒になって、天が貴く用いることのできる子孫を生みなさい」ということで結ばれたのです。それが、お2人の方が出会うようになった動機だと聞いています。洪順愛ハルモニの生涯は、啓示によって一生を生きてこられた方だと思います。既に亡くなったのですが、あの方の一生というのは、女性としては完全なる祭物(供え物)の人生だったと思います。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より