韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

世界と東西南北統一は真の愛で⑤

 これをどのように克服するか、ということが問題です。問題は韓国の人が韓国を愛する以上に北朝鮮をもっと愛するという人が出てこなければなりません。同様に、北朝鮮の人が北朝鮮を愛する以上に韓国を愛する人が出てこなければならないのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。

 韓国の誰よりも、もっと国を愛する人北朝鮮の誰よりも、もっと国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。それ以外に道があるでしょうか。どんなに考えても、それ以外に道はありません。

 それではこれをどのように実践するのかが問題です。それは北朝鮮の人よりも、もっと苦労し、韓国の人よりも、もっと苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決方案なのです。

 悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を、主張することができる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのです。

 そのような観点から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない立場になられると、神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかないと考えたのです。それが十字架の道理なのです。

 人類を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも愛し、神様を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも愛したので、滅びつつあった歴史が、そこから新しい方向に向かって、より次元の高い善の目的の世界に進出したのが、キリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。

南北統一はどこからどのようにするか

 ゆえに、南北を統一することができる方案は南と北のために死ぬことができる群れとなる道しかありません。それ以外に、統一し得る道はありません。本当に、共に生きたいという心がなくてはなりません。

 人間がどのように生きるのか、あるいは私たちの人生航路をどのように行くべきかということを念頭において見るとき、その骨子を要約するならば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。

 まさしく、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず、共にいたいと思い、前後、左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に生きたい思いに満ちた人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。

 「共に、一緒に生きたいなあ」という、その内なる共通分母とは何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越できません。それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。この学問と共に、永遠に共に生きたいという思いがあるでしょうか。間違いなく私たちが共に生きることができるのは知識でもなく、金銭でもありません。

 このように見るとき、上や、下や、前後、左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛だというのです。

 ですから、孝子は家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また、愛国者は国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万民をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。

 したがって、愛国者の心のように、民族と共に生きたいと思い、民族が困難なときにはその困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びでなく、私たちすべての喜びとして永遠に残ることができるものでなければならない、と誓うことができる真なる心情の基盤が問題なのです。


韓鶴子総裁講演集」より