韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

世界と東西南北統一は真の愛で①

文鮮明先生御聖誕80周年祝賀・東西南北統一前進大会」

2000年3月9日、名古屋大会、名古屋市愛知県体育館
    10日、東京大会、昭島市昭和の森・メッセ昭島


 世界と東西南北統一を熱望する指導者、そして紳士、淑女の皆様! 今まさに始まった新千年は分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村(世界)、一つの家族の理想が実現される時です。皆さんの各家庭に、新千年の祝福が共にあらんことを祈願いたします。

 私の夫である文鮮明総裁の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んできました。

 総裁は16歳(数え)の少年時代に祈祷をしている最中、突然、神様のみ旨に接したのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。そうして、知ってみると、人間の不幸の根本原因は人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果であったのです。これによって、神と人生と宇宙の根本問題などについて無知に陥ったのです。

 これまで総裁は世界各地の公式席上で1万回余りのみ言を通して、「神主義」に立脚した真なる人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは12種類の世界各国の言語に翻訳され、既に300巻余りの書籍として出版されています。これは文献による総合的な研究や学問的な探究の結果として解明されたものではなく、有形・無形世界を自由に行き来しながら、原理的であり、根本的な答えを説き明かしてきたものです。

 きょう、この意義深い場を感謝しながら、韓民族の宿願であり、アジアの平和と世界の冷戦問題の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と東西南北統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。

人類歴史とは蕩減復帰摂理歴史

 韓国の統一は単純に国土の統一だけでなく、これは堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の2大世界に引き裂かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがってこの問題は神様の救援摂理観的側面から理解しなければならない事案であるがゆえに、摂理的次元から解いていかなければならないのです。

 人類歴史は人間始祖が堕落により失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰歴史です。ゆえに歴史は神様の創造理想を実現させるための目標を置いて、サタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。

 歴史の背後ではいつも善なる側には善霊が協助し、悪なる側には悪霊が協助してきました。人間の堕落により始まった分裂の歴史は家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。

 2000年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一して、12支派の子孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方ではローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたことでしょう。最終的にはイエス様を中心として、一つの新しい宗教文化圏を形成し、王の王にならなければならなかったのです。

 しかし、イエス様が十字架にかけられることによって、それ以降、外的な肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は400百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。

 人間始祖の堕落によって引き裂かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何を狙っているのでしょうか。神様のみ旨を正確に狙っています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が天地創造時に理想とされた基準も永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。

 神様にお尋ねしてみれば、神様はその事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に、私を天使長として立てられた時には一時的な愛で立てられましたか。でなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか。

 神様は永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかはサタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様はサタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。


韓鶴子総裁講演集」より