韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

救援摂理史の原理観③

愛の責任性は三つ

 その責任性は、次の3つとして考えることができます。第1に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修練、自己管理で自由な真の愛の主体者になる責任です。人において愛の責任性は、法や世間体ゆえに守られるものではなく、神様との生命的縦的関係の中で自己主管、自己決断で守られるのです。

 第2に、相対に対する責任性です。人間は、本性的に自らの相対の、自分に対する愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子供の間の縦的な愛の関係と異なり、分けられればもはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間で絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理ゆえです。人は、絶対に自分の相対のために生きるべき愛の責任性があります。

 第3に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は、父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的な要素を提供することです。家庭が貴い理由は、このためです。

 生活的な経験を通して体得する真なる子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真なる家庭以外、そのどこでも得ることはできません。アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦となれば、神様は理想どおりに、御自身の実体であるアダムの体の中にいまし給いながら、エバを愛されるようになるのです。

 さらにはアダムとエバは、神様の実体をまとった真の父母となって、善なる愛、善なる生命、善なる血統の出発となったことでしょう。ところが、堕落によってアダムとエバは、サタンの実体となって、悪なる夫婦、悪なる父母、悪なる先祖となってしまいました。彼らの結合は、悪なる愛と悪なる生命と悪なる血統の根となってしまったのです。人類はすべてこの根に根源をおいたので、生まれるときから、すべてが神様の怨讐であり姦夫であるサタンの後孫になり、悪なる父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。

 人類の先祖の堕落で真の愛の理想が崩れたとき、神様の苦痛がどれほど大きかったでしょうか。 神様の子女になるべき人間たちが、本来の父母である御自身が分からず、むしろサタンに仕えるのに、神様は救援歴史をしてこられたのです。

 絶対的な神様の創造理想も絶対的であるので、悲しい救援歴史をなさるしかありませんでした。神様の救援摂理は、失った真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。このような点で、復帰摂理の根本は、どうすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだせるかにあるようになります。

 神様が一番嫌う姦夫であるサタンの偽りの愛から由来した生命と血統を、清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母を、どのようにして生まれさせるかということです。人間始祖が自分の責任分担を完遂できず、不倫なる血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接立って原状回復させることができないのです。神様は天使長側に回った人類を、条件なしに善なる立場から選ぶことも、打つこともできないのです。神様は善なる天使長的中心人物を立て、先に打たれながら蕩減条件を立てるようにして、奪ってくる作戦をしてこられました。しかし、サタンは先に打ち、奪われる立場になりました。第1次、第2次、第3次の世界大戦はその例になります。先に打った側が滅びました。

長子権復帰のための神様の摂理

 復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブの時、モーセの時、イエス様の時、みなそうでした。堕落の張本人であるエバの代わりに責任を果たすお母さんを立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立させるための摂理が存在してきたからです。神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接対することはおできになりません。神様は善側を代表する次子を相対として条件を立たせ、悪側を代表する長子を屈服させることで、善なる血統を復帰してこられました。

 アダム家庭で、神様は次子アベルを立てて長子カインを屈服させようという摂理をなさいました。堕落した母親ですが、そのエバによる兄弟を一つにしようとする努力はありましたが、結局はカインがアベルを殺害することによって、救援摂理は終結を見ることができず、延長し始めたのです。ノアの時も母子協助の基準はありましたが、本格的な母子協助の基準はリベカ、ヤコブの時からです。

 人類の堕落は、アダム、エバ、天使長、このように3つの存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘って霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘って肉的堕落をすることによって、神様を裏切ったのです。堕落した天使長がサタンになりました。救援摂理は復帰摂理であり、復帰の原則は180度反対の道を通してなされるのです。真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。

 創造の時、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落と無関係な息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。メシヤは、サタンの主管下にいる堕落した血統をもった人たちの生命を否定し、新しい生命の種を接ぎ木してあげるために来られる真の人であられます。

 根は神様に置きましたが、後のアダムとして来て、アダムによって引き起こされたものを清算しなければならないメシヤです。神様が、能力だけで役事する超人をメシヤとして送ることのできない事情が、正にここにあるのです。

 この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のために、先にお母さんがいなければなりません。お母さんが息子を産むにしても、ただそのまま産むことはできないのです。必ず、復帰の公式を通して産まなければならないのです。

 復帰摂理の中に現れた母子協助は、すべてが天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子共にサタンの攻撃を免れることのできる条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してこられたのです。神様の摂理の歴史を記録した聖書の中に、理解することのできない記録がたくさんあります。

 リベカが夫のイサクと長子のエサウをだまし、次子ヤコブを助けて彼に祝福を受けさせました。神様は、一見不当に見える方法を用いたこの母子の側に立たれて、彼らを祝福し続けられました。アダムの家庭では、カインとアベルの兄弟が胎外で争って、次子のアベルがかえって殺されました。


韓鶴子総裁講演集」より