韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

救援摂理史の原理観②

神様の創造が必要な理由

 神様は、御自身の体としてアダムを先に造りました。アダムは、神様の息子であると同時に、体をもった神様自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバを造って、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは、神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成すべき新婦でもあったのです。

 アダムとエバが完成して神様の祝福のもとで結婚し、初愛を結ぶその場は、すなわち神様が実体の新婦を迎える場なのです。アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参なさることによって、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点で結実完成するようになるのです。神様の創造は、必然でした。目的のない創造は、考えることができません。

 神様において創造が必要だった理由は、ただ一つ、真の愛の理想でした。最も簡単で低級な被造物から人間に至るまで、各々主体と対象、陽性と陰性のカップルで展開なさった理由も、愛の理想のもとで相対関係を形成するためなのです。創造物の愛の理想と神様の究極的な愛の理想は、別個ではありません。人間世界の男性と女性の愛の完成を通して、神様の絶対愛が完成するようになさったのが創造原理です。

 初めに人間をアダムとエバ、一男一女として創造なさった理由もここにあります。神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守って真の人として完成することです。さらには、神様の真の愛で一つとなった真なる夫婦になるのです。また、彼らがその真の愛の中で息子、娘をもち、幸福に豊かに暮らすことのできる真の父母になることです。アダムとエバが真の愛で完成することは、正に神様が実体を身にまとう願いが成就するのです。そして、彼らが真なる夫婦として完成することは、正に神様の絶対的な愛の理想の完成を意味します。

 次に、アダムとエバが善なる子女をもって真の父母になることは、正に神様が永存の父母の位を実体的に確定し、また神様が人間の血統を通して子々孫々を繁栄なさることによって、天上天国の市民を無限にされたかった理想を成就なさろうとされたのです。

 ところが、人間始祖アダムとエバは、堕落してしまいました。エデンから追われるとき、彼らは子女を抱えていませんでした。神様が追い出したアダムとエバをエデンの外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげられたはずは絶対にありません。全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した、追い出された先祖の後孫です。

アダムとエバの堕落は不倫から始まった

 満場の御来賓の皆様! 人類の堕落が木の実を取って食べた結果であり得るでしょうか。アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成段階、すなわち成長期間で堕落してしまいました。蛇で表示された天使長の誘いを受け、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘って(時ならぬ時に善悪を知る木の実を取って食べる)肉的な堕落をしてしまったのです。

 本然の園で神様と対話しながら、楽しくはしゃぎ回って暮らしていたアダムとエバが、死ぬことまでも顧みないで犯し得る可能性のある犯罪は、間違った愛の犯罪しかないのです。人類の先祖の初愛の結合は、神様自身の愛の完成でもあったので、当然、神様もアダムとエバも宇宙万象も、歴史を通して歓喜と祝福の中に酔う幸福な宴の連続でなければなりません。神様の愛と生命と血統が人間の中で出発しながら、定着する幸福な儀式でなければなりません。

 ところが、彼らは下半身を覆い、木の後ろに隠れて、不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくった不倫の関係を結んだからです。堕落したアダムとエバの後孫である全人類は、子々孫々、生まれる時から原罪があるようになりました。

 人類が個体の中に心と体の衝突を矛盾として感じるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱した社会の中で本心が願わない生を生きていくのも、すべてここに由来しました。愛の理想を中心として見るとき、動植物の世界では、その愛の関係がすべて繁殖を前提にして初めて成されます。

 しかし、人間だけはその例外です。人間は、夫婦の愛の関係を自由に享受します。これが万物の霊長たる特権です。神様は、息子、娘である人間が無限なる愛の喜びをもつように祝福しました。神様が許諾した真なる自由は、責任性を前提とします。もし、責任性なしに個々人が愛の自由だけを主張し、実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が来るでしょうか。至高なる愛の理想を求める人間は、愛に対する責任性をもつときに完成が可能なのです。


韓鶴子総裁講演集」より