韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

歓迎晩餐会における韓鶴子女史のメッセージ(1)

天が祝福し、霊界が協助するとき

 2007年5月2日から11日まで、真のお母様(韓鶴子女史)を日本にお迎えし、「天宙平和神文明開闢宣布日本大会」が全国10都市で開催された。5月1日に来日された際、真のお母様が歓迎晩餐会の席で語られたスピーチと翌朝の訓読会で語られたみ言を紹介する。


歓迎晩餐会における韓鶴子女史のメッセージ(1)

5月1日 福岡

 皆さん、きょうが何の日か知っていますか。日本は、5月初めが連休だと聞きましたが……。5月は幸せな月です。春は、冬に眠っていたすべての自然万象、木々も青い葉に衣替えし、様々な美しい色の花を咲かせてくれる、とても美しい季節です。春もたけなわになる5月には、韓国では子供の日もあり、父母の日もあります。ですから、幸せな月だと言います。皆さんはどうですか。幸せですか。(はい)。

 これまで、摂理歴史を後押しするためにとても大変だったと思います。そうでしょう? そうですか。(はい)。それで、もうこれ以上は立ち上がることができないという気がしますか。(いいえ、しません)。最も大変だと思うときは、ジャンプしなければなりません。飛躍しなければならないのです。そのようになれば、皆さんが想像もできない、新しい祝福(恩恵)が来ます。

 ここに来る途中で、多くのことを考えました。み言にもありますが、今年(2007年)、お父様(文鮮明先生)は米寿(88歳)をお祝いされました。世間的に考えれば、とてもお年を取られたのです。それゆえに、御自身が果たすべき、また計画されたみ旨の完成に向かって、とても忙しくしていらっしゃいます。それに合わせて従ってくることは、とても大変だったでしょう? ですから、ある時は道が見えず、目の前が真っ暗になって、これ以上行けないと思ったこともたくさんあったはずです。

 しかし、今日、私たちが目で見ているものが、全てではありません。1950年に遡れば、その時は、韓国が6・25動乱(朝鮮戦争)を迎えた時でした。南の端まで共産軍に追い詰められた後、国連軍の支援によって再び押し返して北上するようになりました。その時は、韓国全土が戦闘で廃墟になったのです。その時、一般の人々の生活はどれほど困難だったか分かりません。その日の食事を取るのも難しい、そのような状況だったのです。

 母の国(日本)に来たので、お母様の過去の話を少しします。当時は、韓国にキリスト教が入ってきて100年しかたっていない時だったので、ほとんど儒教と仏教の文化でした。ですから、お坊さんたちが大勢いたのです。ところで、ある日、あるお坊さんが私を見て、私の母(洪順愛大母様)に、「あなたの娘ですか」と聞くので、母が「そうです」と答えると、そのお坊さんは「息子が10人いる人と比べても、うらやましくは思わないほどの娘なので、立派に育てなさい」と言いました。

 そして、「この娘は、若くしてお嫁に行くようになるが、その相手の人は年齢が少し高いでしょう。しかし、その人は、陸・海・空を支配する、そのような力をもった人です」という話をしました。

 今思えば、本当に感慨深い話ではありますが、50年前を考えれば、それは想像もできず、空の星を取るよりも難しいことだと思えた時でした。おそらく、皆さんの中にも、年齢の高い人であれば、戦争を経験しているので、戦争後の廃墟と、その苦しみを感じられる人がいることでしょう。

 きょうここに座っている皆さんを見ると、みな若い人々なので、それを心の底から感じるのは少し難しいようです。皆さんは若いので、私たちには希望があります。そうでしょう?(はい)。

 ところで、今日、どのようになりましたか。通りすがりのお坊さんが予言したことは成し遂げられましたか、成し遂げられませんでしたか。(成し遂げられました)。お父様が成そうとしていらっしゃることは何ですか。ハワイに行ってきた人は知っていますが、今回のこの大会は、環太平洋神文明開闢宣布大会でしょう? 神文明時代です。

 お父様は、ずっと以前から海洋摂理のために多くの……。アメリカに33年いらっしゃる間も、またアメリカに行かれる前の韓国においても、難しい環境の中で、お父様は常に海のことを考えてこられました。ですから、お父様が苦労された業績も、世界の至る所にあります。私たちは、そのような実績を見ています。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より