韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

無私の原理 -韓鶴子女史は愛の勝利者(4)

 レバレンド・ムーン(文師)は、既に言及したように、国家という限界内の領域を超えて、天宙的な段階へ行こうとしています。もし皆さんが自分自身のことばかり考えるなら、この運動の中で長続きしないでしょう。例えば、お母様(韓鶴子女史)がもし自己中心的な人で、彼女自身のことだけを考える人であったら、今日お母様の位置にいないはずです。ですから私たちの運動の中に、もし自己中心的なリーダーがいるとしたら、今すぐにでも荷物をまとめて出ていきなさい。そういう人には、どうせ長くはいられない場所です。


 先生は、リーダーたちをそういう観点から見ています。そういう観点から価値を計るのです。どれだけ「無私」であるかという、そのキーポイントとなる基本原理に基づいて人事するのです。


 先生は「統一原理」を教え、「統一原理」を生活し、「統一原理」を実践しています。そしてきょう皆さんは、私が統一教会(現世界平和家庭連合)の指導者として、どのようにこの道を歩んでいるかを知りました。お母様は、この点において今や勝利的な女性ですが、誰がこの完成した勝利的な女性をつくったのでしょうか。それは実に先生です。ですから、先生もまた、その点において勝利的な先生なのです。


 スタートラインから出発したお母様は、ひたすら完成基準に向かって、7年間闘ってこられました。この7年間という期間は、実に様々な非難、中傷、うわさ、誤解等が先生一家をめぐって渦巻いていました。非難、中傷、迫害によって血を流すような思いの期間でしたが、それらのすべてが必要なことだったのです。


 問題は、お母様がこのような試練に耐えて、非難を受けてもそれを克服し、乗り越えることができるかどうかでした。皆さん、当時のお母様の立場が想像できますか。そして、お母様はすべてに勝利したのです。


 とにかくお母様に対していろいろなことが言いふらされ、「お母様は責任を果たせなかった。だから先生は、新しくお母様を選ぼうと考えておられる」とか、さらに「お母様は誕生日を偽って、2人の誕生日が同じ日であるように見せかけたのだ」とか、実にサタンの業としか思えないひどいうわさを耳にするたびに、お母様は胸が張り裂けるような思いでした。


 そのような状況の下で、お母様はひたすら沈黙を守り、耐え忍ばなければなりませんでした。こういう事情の中に月日が流れていきました。しかし、どんなことが起きても、お母様は最後まで不屈の信仰で忍耐し、犠牲になりながらも沈黙を守り、先生への信仰を持ち続けました。そしてついには、非難を受けていた事情のすべては逆転し、みんながお母様の前にこうべを垂れて、「この方は、真に天宙の母であられる」と思うようになり、そのように尊敬し、仕えるようになったのです。


 時には、到底信じられないようなことも起きたりしました。そのような当事者たちは、お母様を憎む立場に立ちました。驚いたことには、彼らはお母様と一体となろうとせずに、結局1人、また1人と去っていったのです。


 先生は原理を持っていますから、この種の事情をいかに主管して、指導者としての使命を果たし、最終的勝利をもたらさなければならないかをよく知っていました。もし原理を知らなかったならば、先生は本当にどのように処置すべきか分からず、当惑したことでしょう。


 結局は愛なのです。愛が中心であり、すべては愛の問題です。そして愛の問題がいかに極端な方向に行くものであるかを、皆さんもよく知っているでしょう。


 したがって、このような事情を主管することは、本当にどれほどデリケートで難しいことでしょうか。心寂しいことですが、ある意味では外で起きた多くの迫害よりも、はるかに悲惨で激しい戦いであるともいえるでしょう。


 先生は愛を征服し、復帰するために来ました。そしてそれは、神様に対する心情の復帰でもあります。したがって、先生は愛のため、心情のために、蕩減をしなければなりませんでした。愛に勝利し、すべての愛を天のために復帰しなければならなかったのです。それは、そのために負うべき十字架を意味しています。これこそまさに愛の十字架であり、愛の十字架こそは最も大いなるものでした。

 

「真の母のまなざし」より