韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

無私は勝利の鍵 -韓鶴子女史は愛の勝利者(5)

 そしてこれらの事情については、決して2人の間で話し合われることはありませんでした。「さあ、あなたはこのような試練を理解し、勝ち抜き、不屈の忍耐で勝利しなければなりません。私はこのような計画を成就するために、このような目的に従って、このようにしたのだから」というような説明は、たった一言もしませんでした。


 先生がお母様(韓鶴子女史)に説明し、慰めたとしたら、たとえお母様が勝利したとしても、それは何の価値もないのです。お母様自ら意味を悟って、自分自身の理解に基づいて忍耐し、勝利しなければなりません。


 先生は、今皆さんに話しているこの程度までも、お母様に説明したことはありません。そこに見ることができるのは、実に勝利的な信仰の表明以外の何ものでもありません。倦むことのない献身と、先生に対する絶対的な信仰です。お母様も洪ハルモニも、共に勝利しました。


 この天宙的な勝利以後、今や先生はお母様としてその立場にふさわしい栄光を与えるようになりました。洪ハルモニも生涯を通して、お母様の母親としてふさわしい正当な尊敬と栄光を受けなければなりません。もしそれを受けずに亡くなられるとすれば、子孫たちにその結果が表れるでしょう。


 このように原理的観点から見るとき、先生はお母様に対して前とは違った遇し方をしています。それが復帰の過程であり、それはかくも難しく、大変なことなのです。これがどれほど難しいことか、皆さんには到底理解してもらえないでしょう。
 皆さんも心情からすべてのことを決定しますが、先生自身の摂理においても同じことなのです。先生の心情がひとたび正しく定まれば、万事が速やかに出発し、うまく展開していきます。


 皆さんの心情もやはり、神様と真の父母との関係において、ひとたび正しく定まれば、万事が皆さんの周囲で速やかに動き始めます。皆さんの心が決定されるまでは、何事も始まらないのです。


 お母様と洪ハルモニは、最も栄光ある、責任ある立場に選ばれたのですが、彼らは統一教会の最低基準で入教し、最低の基台からその路程を出発しました。


 このことから私たちは、神様の王座という祝福は、決して最も高く栄光ある貴い所で受けるのではなく、人間として最低の悲惨な立場から勝ち取っていかなければならないのだという教訓を学ぶことができます。


 そうして初めて祝福は永遠なるものとなり、全人類を抱擁し得るものとなるのです。
 祝福は絶対に高い所に来るのではなく、最も低い所に下りて来るものです。そこには苦難があります。先生は自分がなぜ、それこそ最低の、まさに地獄の地下牢からその路程を出発したのかということを、いつかは必ず明確に、詳しく説明しようと考えています。


 そして同じ原理をお母様(韓鶴子女史)にも実践させ、子供たちにも実践させるつもりです。そして皆さんにおいても、その原理を適用することに変わりはありません。だから皆さんを最低のところに追いやろうとするのです。


 先生に不平を言いたい人がいるかもしれませんが、もしお母様がその苦難に対して不平を言い、使命を果たすことを中断したり、「先生、あなたがどなたであろうと構いません。私は去ります」と言ったとしたら、あるいは出ていかないまでも常に不平ばかり言っていたならば、お母様は皆さんのお母様ではありません。


 それと同じように、先生が皆さんをある立場において何か役割を与えたとき、もしそれに対して皆さんが不平を言い始めたならば、その時から、その位置と立場を喪失するのです。


 自己中心になって不平を言い始めるとき、結局すべてを失い始めるのです。実に無私こそ成功の鍵なのです。

 

「真の母のまなざし」より