韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

お母様(韓鶴子女史)は愛の勝利者(1)

(1977年5月3日、ニューヨーク、ベルベディアで催された真の父母様の御聖婚17周年記念式典で、文鮮明先生がアメリカの幹部たちに語られたお母様(韓鶴子女史)についての証)

「あなたが天の花嫁候補です」

 皆さんも知っているように1960年の聖婚以前は、約15年以上も先生(文鮮明師)は独身で、ひたすら使命を果たすことのみを考えていました。しかし、原理を知っている者は誰でも、原理的に明らかなこととして、「先生がいつかは結婚される」ということを知っていました。そして誰も彼も皆が「あなたも天の花嫁の候補者になれる」という啓示を、それぞれに受けたのです。「あなたも……」、「あなたも……」と。


 そこで、いわば物凄い競争が起こったのです。私たちの教会の内部に、見えざる霊的闘いが引き起こされたのです。そして驚いたことには、教会(経歴)の古い姉妹で、70代、60代になる老女たちまでも、神様は同様の啓示をもって慰められたので、彼女らまでが「神様が私に『天の花嫁になる』と言われました」と言うのです。さらに10代の女の子もまた、「あなたが主の花嫁になるだろう」という啓示を受けていたのです。このように70歳の老女も10歳の少女も、教会員たる女性は老いも若きもみな、「あなたが天の花嫁候補です」という啓示を受けました。


 どうして神様は、そういうふうにしなければならなかったのでしょうか。なぜなら、神様は摂理を成す過程において時間を超えているからなのです。神様には時間というものはなく、永遠、無限無窮という時のみがあるのです。つまり神様にとって、100年は1万年に等しく、1万年は100年に等しい、というように、神ご自身の心中において、時間というものは非常に融通性のあるものなのです。ですから、すべての女性という女性に「いつの日か主の花嫁に選ばれる」という予告を与えることは、神様にとってはごく自然なことであるのです。


 そういうことで神様は、そのように教え、啓示されたのです。なぜなら女性は、誰でも主の花嫁の使命の一部分を果たしているといえるからです。ですから、ある人が使命のある部分を果たしていると認められるならば、神様は「あなたが主の花嫁の候補者です」と言うことができるということです。


 しかし原理的に言えば、最終的にはいろいろな部分的役割を総合させる1人の実体なる方がその位置に立たれるのです。それが言うまでもなくお母様(韓鶴子女史)です。

 先生はきょう、お母様の知らない、背後で見られた混乱と競争の顛末について語りたいと思います。


 原理を知っているなら理解できると思いますが、神様がそのひとり息子をメシヤ(救世主)としてお送りになったとき、その方はまさしく全人類の花婿として来られるのです。殊に人類のうちのすべての女性に対して、花婿としての位置にあるのです。ですから神様は、先生に歴史上のいかなる男性よりも、もっと多くの女性に愛され、慕われる者になってほしいというのです。そこで神様は先生に、多くの女性に愛されることにおいて、最高の記録をつくることを許されました。

 

 そういうことで、歴史上に数多くの王や皇帝がいましたが、誰にも見られなかったような現象が起こってきたのです。先生は、かくも多くの女性の注目を集める歴史的記録をつくりました。歴史上にかつて、そんなにおびただしい女性たちから、こんなにも献身的、自己犠牲的な愛を受けた人はいませんでした。それも天の摂理の一部分であったというのです。これらのことが、聖婚式の行われた当時の背景です。


 当時、春川におられた比較的無名のお母様が、先生によって「天の花嫁」として選び出されたのですから、それは多くの人々にとって、なんと衝撃的な、いわば天地のひっくり返るようなショックであったことは想像がつくことでしょう。教会に関する限り、正に大地震で、天地がひっくり返るような出来事だったのです。

愛の戦争

 「天の花嫁は必ず自分の家庭から出る」と信じ込んでいる家庭がたくさんありました。祖母、娘、孫娘、3代の女性がみな、自分たちのうちの1人が、来たるべき天の花嫁になる、と神様がお告げになったと信じていたのです。一家庭ならともかく、実に驚くほど多くの家庭がそう確信していたというのですから、それは本当に驚くべきことでもありました。


 考えてもみてください。そういう時に、突如として、思いがけなくもお母様が選ばれたのですから、それらの家庭の人々にとっては、どんなに大きな衝撃だったことでしょうか。


 先生は多くの霊能者のおばあさんたちを、祭司や神様と人の間の預言者のようなもの、すなわち神様の啓示を受ける器として用いていましたが、彼女らは多くの摂理的使命を果たしていましたから、非常なプライドと権威を持っていました。そして自分たちが天の花嫁を決めることになるだろう、と思っていたのです。ところが突然、そのおばあさんたちには一言の相談もなく、まさに突然お母様が選ばれたのです。彼らの動揺は想像がつくことでしょう。


 そのような事情、環境の下で、1960年の聖婚式は挙行されましたが、それに先立って、教会の中には様々なゴシップが行き交っていました。「あそこの家のあの娘が、きっと天の花嫁として選ばれるに違いない」等々、多くの人々が様々に異なった噂を触れ回っていました。教会内は、信じられないほどの期待で沸き返っていたのです。このような状況の下に、お母様は選ばれたのです。


 それまで多くの若い女性たちが、世俗的観点から見れば、あらゆる面において、自分こそ相応しく見え、自分こそ選ばれるべきだという確信に満ちていました。「私はこんなに美しいし、大学を卒業して学位も持っているし、あらゆる社会的な教育を受けている。良家の出身で家庭環境もこんなにいいのだから、主は私の家に来なければならない」、「私のようなタイプの女性こそ天の花嫁になるべきである」と。


 そしてその年、先生は40歳という最も重要な摂理的な年齢だったので、彼らは、「そうだ、先生は40歳なのだから、花嫁は35歳の人が理想的だ」と勝手に考えて決めつけたり、いや36歳かも、あるいは34歳、32歳、30歳ということもあり得る、という調子でその年齢の女性たちが挙げられ、その女性たちは、自分たちこそ最も選ばれる可能性の高い者たちだから、きっと私たちの中の1人が選ばれるに違いない、と言い合っては競争に勝とうとしました。


 彼らが、花嫁はその年齢層、30歳から40歳の人の中から選ばれるべきだ、と考えたのには、もう一つ理由がありました。天の花嫁の資格として、その方は指導者としての大変な使命を果たすことになるからです。どうして10代、20代の若い女性がその位置について、お母様として必要な指導力を発揮することができるだろうか、できるはずがない、というのです。


 そういう観点から見て、教会における母の役割を果たすためには、誰か成熟した年齢の30代くらいの者でなければならないはずだ、と極めて論理的な結論が出されたのです。


 かくしてその見えざる競争がいかに激しく展開されていたか、想像がつくことでしょう。一つの層の人々の間だけでなく、様々な基準で、様々な角度から競われたのです。実体的な銃弾が飛んだのではありませんが、至る所で心情の銃弾が飛び交って、それは見えないけれども、正に凄まじい戦争のようなものでした。心情の戦争、愛の戦争です。皆が、その愛と目標を勝ち得ようとして、見えない中で熾烈に戦い続けていたのです。

 

「真の母のまなざし」より