韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

先生の作戦 -韓鶴子女史は愛の勝利者(2)

 こうして多くの人々の期待が高まっていたころ、突如として、これらの人々はみな、失望のどん底に突き落とされました。考えてもみてください、人々はまさにどん底に落ちたような気持ちでした。そして一種の危険性もありました。彼らはそれほどまでに大きな希望と高い期待を持っていたので、その希望と期待が裏切られた時の反発も強かったからです。失望と迷夢から目覚めた時の反発、反応は、非常に強いことが当然考えられたからです。


 先生がこの時の事情について公的に明らかにするのは、きょうが初めてです。この信じ難いほどの緊張した背後の状況をよく知っている先生は、お母様(韓鶴子女史)のお母さん(洪順愛女史)にも、「家に籠って教会の玄関からは来ないようにしなさい。自分の娘であっても会いに来てはいけない。どうしても来なければならない時は、こっそりと裏口から入りなさい」というような指示を与えたほどです。そうすることによって、惨めな捨てられた立場にいるお母さんになり、誰もお母様の母親になったことを羨まないからです。


 誰でもお母様の母親になることは、女王様の母親になるようなものだ、と思っていました。「ああ、彼女は栄光を受けるのだ」と。しかし、これらの期待の裏をかくために、彼女をして犠牲になさしめるような立場に追いやって、自分の娘なのに会いに来てもいけない、と言ったわけです。


 ですからある意味でこれは、先生の戦法をよく表しています。多くの娘をもった母親たちが、自分の娘がいつの日か主の花嫁になるかもしれない、と期待していましたから、お母様の母親のいわば不運で悲観的な立場を見せることによって、誰も彼女を羨まないように、母親をして犠牲になる役に追いやったのです。それは先生が彼らをなだめ、屈服させる作戦だったのです。


 候補者といわれていた10代の娘や、立派な娘をもつ母親たちは、教会でも強い発言権、位置をもち、非常に献身的、信仰的な人々でしたが、これらの人々が一番問題だったのです。ですから先生は、そうすることによって、その人々を鎮まらせたのです。そんなに思いわずらう必要はないのだ、となだめたのです。


 ですから先生が洪ハルモニを、そのように不当なほど、困難な立場に置くことによって、人々はむしろ洪ハルモニに同情して、先生に不平を言いに来る人さえいました。そういう人々は、「どうして先生は、ご自分のお母様をそういうふうに扱われるのかしら。信じられないことです。本当にあなたに同情しますわ」と洪ハルモニを慰めました。そういう情勢になっていくことが先生の切に願うところでもあったのです。

 

 結婚後の最初の1年間を、先生はどのようにお母様を扱ったかというと、とても先生の妻のようではなく、まるで召使のように扱ったのです。


 先生はお母様に、「私の部屋に特別な許可なしに勝手に来てはならない。階下に小さな部屋を持って、私が呼んだら来なさい」と言ったのです。


 このように、いわば僕の立場から出発したのです。先生は、お母様が正に最低のところから出発することを願っていました。なぜなら、数多くの主の花嫁の候補者たちは、先生がどのようにお母様を扱うかを鋭く観察していたからです。本当に彼女たちは、先生がお母様をひどく扱っているのを見て、お母様の位置を羨ましがらなくなり、選ばれなくてよかった、と思い始めました。それも先生の戦法だったのです。

お母様(韓鶴子女史)に対する訓練

 しかしながら、その期間の内的な意味は、お母様と洪ホンハルモニの信仰を試す期間でもあることです。彼女らは、どんな状況の下でも決して不平を言わず、先生に背かず、不屈の忍耐を持って、黙々とすべての事情を甘受しなければならなかったのです。先生はそれを願い、彼女らは願われたごとくにしました。


 ここでもまたカイン・アベルが問題でした。カインの立場を理解して、カインのために苦しまなければ、アベルになる道はないのです。お母様と洪ハルモニとは、他のすべての食口(シック=家族)に対してアベルの立場にあるのですから、その失望した人々を抱擁していかなければならないのです。先生は既に個人、家庭、氏族、国家、世界、天宙と、予定されたすべての段階において勝利したので、サタンは全く侵害する権限がないのです。しかしながら、お母様の方はこれから出発するのですから、最初の7年間は、お母様の訓練期間だったのです。7年間もの長い魚釣り競争のようなものでした。


 最初の3年間は、神の前に、またサタンを屈服させるために個人的に「勝利した女性」となるための闘いの期間であり、次の4年間は、家庭的な段階における闘いの期間でした。このように先生の全家族は、信じられないような、想像を絶する試練の期間を通過したのです。

魚釣りの教え

 最近こういう噂があちこちに流れています。既に知っているように、6月に神学校(Unification Theological Seminary)は第1期の卒業生を送り出しますが、彼らは既に各州へ任命されています。ところが各州にいる責任者たちは、「神学生たちが州に来れば、先生は彼らをアベルの位置に置くに違いない。私はほんの2、3カ月教会を維持してきただけで、新しい人が来て教会と責任者の位置を取り上げるのなら、どうして私はこんなに一生懸命働く必要があるだろうか。事実、我々の運動のリーダーたちの人事異動が6月にあると通告されているのだから」と言っています。

 先生は、このことが州の責任者たちの間に心理的パニックを引き起こすことは明らかだと思っていました。案の定、それが各州の4月中の実績に明らかに反映しています。なんと愚かな人たちなのでしょうか。自分がそういう立場に置かれたら、こういう時にこそ自分の信仰と確信と責任感とを証して、自分の価値を示す絶好のチャンスなのだから、今までの2倍も3倍も働く時なのだ、というように考えるべきです。


 報告を見て、先生は4月中に多くの教会員が去ったことを知りました。なぜ先生は皆さんをベリータウン(神学校所在地)まで来させて魚釣り競争をさせたかというと、皆さんが1カ月間に積み上げてきた心理的、心霊的なものの表れを、1、2日間の釣りをすることによって直接見たかったのです。


 魚釣りを通して、皆さんがその中でどういう反応を示すかによって、皆さんがどういう人間であるかを見ることができるのです。あの時も結局、最後には先生だけが残りました。先生がまず大貫に続けたいかどうか聞いてみると、彼は「先生、みんな行ってしまいました。延期することはできないものでしょうか」と答えました。そして次にゲルハルト(先生のボディーガード)に「次はお前の番だ。水の中に入るのだ」と命ずると、彼は素直に従って入りました。そして2回目には3時間以上も水の中にいたのです。どんな天候であろうと先生はやり通すことを、彼は知っていたからです。


 先生は、3時間もかかって網を解いていました。網を水中に入れるのに普通は30分しかかからないのに、その網はめちゃめちゃにもつれていて、解くのに3時間もかかったのです。誰がこんなにもつれたままにしておいたのだろう、といらいらしたほどです。
 先生は、きのうは二重の苦しみを味わいました。トイレに行きたかったのですが、船に乗りっぱなしということになってしまったのです。何しろ、うまくいけば最短30分で終わると思っていたのに、3時間以上もかかったのですから。かといって、トイレに行きたいから陸に上がろうとは言えません。そういうわけで内的、肉体的にも実に苦しかった上、外的にもそんなにもつれた網を直すには、大変な作業をしなければならなかったのですから、本当に2倍の苦しみだったのです。


 きのう先生がそのように苦労し奮闘したからこそ、私たちはきょう、大勝利を収めてたくさんの魚を獲り、勝利感を味わうことができたのです。勝利によって、皆のややこしい複雑な心のもつれも、一遍に吹き飛ばされてしまいました。


 今先生が、「もう1度やるか」と聞いたら、みな「はい、やります」と答えるに違いありません。それこそが心情の復帰なのです。1日で皆さんの心は、いったん最低のところに下りていって、新しい生命に復帰し、復活したのです。


 こういう会議は、本当に異例であると分かっていましたが、今回はいつもと違った方向から持とうと思ったのです。


 もし私たちが、ベルベディア(ニューヨーク郊外の研修所)で座って先生の話を聞くという、いつもどおりの会議を持っていたら、先生が叱り付けたいようなことがあまりにも多くて、1日中叱り通しになるかもしれないと分かっていましたし、ことに聖婚記念日も迫っている今、そういうふうにはしたくなかったのです。そこで異なった方向から教育しよう、と決意してベリータウンに魚釣りに来させたのです。もっと現実的な、実地の教育を、と思いついたのが魚釣りの競争だったということなのです。

 

「真の母のまなざし」より