韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

福岡での「訓読会」における韓鶴子女史のみ言(2)

 さらにイエス様は、「十字架を下ろしなさい。私(韓鶴子女史)は、悲惨な姿で殺害されたのです」と言われました。真のお父様(文鮮明先生)も、「十字架によるものではなく、復活によって立てられたのが、キリスト教である」と言われます。イエス様は、「十字架に恨(ハン)が多い」と言われるのです。それで、その教会は十字架を下ろしました。

 真のお父様は、かつてアメリカで行われた大会の時に、牧師たちに、「十字架を外す運動をしなければならない」と語られています。それを霊界で実践しているのです。

 食口の1人が真のお父様に、このような質問をしました。

 「なぜ、有名なキリスト教の牧師にイエス様が現れず、キリスト教とは関係のない仏教の高僧に現れて、役事されるのですか」。

 真のお父様は、どのようにお答えになったでしょうか。「たきつけの使命である」と言われたのです。火をつけるときに使う「たきつけ」(着火剤)です。霊界から役事をするためには、相対基準が造成されなければなりません。キリスト教の牧師やキリスト教の基盤は、霊界が役事することのできる、そのような基台となっていないのです。

 日本も雑教ですから、霊的な役事が多いでしょう。たきつけの中でも、真のたきつけにならなければなりません。一度、たきつけが使命を果たして、火が燃え上がれば、消すことのできない大きな火となります。日本でも、そのような大きな役事が起きることでしょう。それは、時が完全に満ちたということです。

 み旨の中で、様々な面で困難が多いのですが、皆さんも現在の立場で、「本当に大変だ。苦しい」という心をもっていることでしょう。しかし、もうこれ以上、下がりようがないと感じる一番低い位置が最高に跳躍し飛躍することのできる瞬間であるということを忘れてはなりません。

 皆さんの中で、男性たちは子供のころ、ゴムで石などを飛ばすパチンコをしましたね。ゴムをぐっと引いて離すと、弾力で石が飛んでいきます。今の皆さんは、ゴムを地獄の底まで引かれているような状態です。その手を離せば、どうなるでしょうか。目標物に命中するのです。それが“完全勝利”です。私たちは、完全勝利ができる幸運の位置にいるということを、肝に銘じなければなりません。一分、一秒において、天国か地獄かが決定するということを考えるとき、皆さんは瞬間、瞬間を失ってはいけません。

 神様と真の父母様が、表現し得ない数多くの蕩減路程を経てこられ、勝利的基盤を立てられた環境が、私たちにはあるのです。

 皆さん。ヒマラヤ山脈を越えるアネハヅル(姉羽鶴)の話を知っていますか。シベリアやモンゴルの辺りで、雛を産んで育て6カ月くらいたってから、8000メートルのヒマラヤを越えてインドまで行くのです。ヒマラヤを越えるため、チベットまで来て、ヒマラヤを越えられる上昇気流が起こる時を待つのです。いい気流が起こったら、30分以内に、そこを越えていかなければなりません。

 本当に不思議なことです。どうして、その気流を知るのでしょう? 山を越えるときには、様々な気圧や風の流れで、そのまま一直線に上に上がることはできません。旋回しながら、上がっていくのです。どれほど、神秘的でしょうか。

 考えてみてください。ヒマラヤの彼方には何があるかは分かっていても、苦しいからといって、途中で躊躇して止まってしまったら、どうなるでしょうか。皆さんの責任分担は、皆さんが負うべき蕩減です。皆さんが、それを満たせられなければ、皆さんの子孫が、それを負わなければなりませんが、そのようなものを相続させたい親が、どこにいるでしょうか。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より