韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

聖主教に行けとの召命 -洪順愛大母様の証(3)

 それ以前に、私の母と母の友達が先に鉄山に行って、恩恵を受けてきたことがあるのですが、それ以来母は、私に、しきりにそこに行けと言うのでした。

 もし母が「鉄山に行ってみると、新イエス教会とは違っていたよ。お前も早く行ってその恩恵を受け、もっと喜びの中に生きなさい」と言ってくれたら行く気にもなったでしょうが、母は、私が言うことを聞かないといってサタン呼ばわりするのです。もしそこに恩恵があって、私を捕らえて感動するように祈祷してくれるのなら行くのに、なぜそれもしないで「そこに行かない」、「従順でない」、「サタンだ」と悪口だけを言うのかと思ったのです。私は心の中で反発してしまいました。

 そうこうしているうちにある日、新イエス教会の信徒たちと一緒に夜遅くまで話をして帰ってきたことがありました。その当時は通行禁止(夜間外出禁止令)もなく、午前零時を過ぎても歩くことができたのです。夜中の1時になって家に帰ってきました。私の父は虎のようにとても怖い人なので、父に見つからないようにそっと戸を開けて自分の部屋に入っていきました。眠ろうと思ってチマ(韓式スカート)を脱ごうとしたら、「順愛よ」と呼ぶ声がしたのです。「不思議だ、1時を過ぎたのに、誰が私を呼ぶのだろうか」と思いながら、脱ごうとしていたチマを再びはいて、気が抜けたようにぼうっと立っていました。するともう一度「順愛よ」という声が聞こえました。

 「不思議だ。お父様の声のようだ。主が私を呼んでおられるのではないか」という思いがしながらも、躊躇していました。すると、「順愛よ、順愛はいるか」という声がまた聞こえたのです。

 私はその声が主のみ声であることも知らず、家まで送ってくれた私の友達が呼ぶ声だと思って、急いでチョゴリ(上着)を着て、静かに戸を開けて道に出ました。午前1時、人々はみんな眠っているというのに、「あなたは私を呼びませんでしたか」と叫びました。するとその友達は、「私が気が狂ったとでもいうの? 私があなたを送ってきてあげたのに、なんでまたあなたを呼ぶの? 早く家に入りなさい」と言うのでした。

 その友達の言葉を聞いて、帰りながら、「ああ、主が私を呼ばれたのだ。母が私に『サタンだ』と言うからといって、その言葉を聞かなかったので、鉄山に早く行かなければならないという意味で、主が私を呼ばれたのだ」という思いがしました。そう考えると、胸がズキンとしました。そして、明日は母の言葉に従って鉄山に行かなければと感じたのです。そう思いながら帰って黙祷し、床に就くと、「救い主の十字架の血によってのみ生きる」というお告げが来ました。そうしてついに鉄山に行かなければならないという覚悟が固まってきました。

 友達に知らせれば、「あなたは新しいものがあるといえば、また行く」と言って反対されそうなので、友達には知らせずに鉄山に行きました。行ってみると、そこは聖主教団で、ある老婦人(金聖道氏)を「新しい主」と呼んでいました。それが少し不思議な気がしたので、しばらくの間、じっと行動を調べました。どうしてその老婦人(ハルモニ)を新しい主と呼び、ここに恩恵が多いのはどうしてなのかと静かに調べてみたのです。じっとその新しい主という方がなさることを見ていると、その方は、知識もそれほどない田舎のハルモニのようなのですが、実に驚くほどあらゆることを処理していかれました。

 また、普通話す時には、新妻のようにとても謙遜で静かに話されるのですが、祈祷されるのを見ると、どんな男性よりも立派に祈祷されました。非常に響きのある声で祈られるので、すべての人の心情を貫き、またすべての人々に大きな感銘を与えました。そして、そのハルモニは聖書も正式に学んだことのない方でしたが、説教も立派にされたのです。

 ところで、真に恵みを受けて心から喜んでこそ、命の自由を得たと感謝するようになるのであり、心から喜べなければ絶対に感謝する気持ちは出てきません。ところが私は、どのようにするのかと、じっと行動を見ているのですから、いくつかは立派に見えても、ほかの人々のように感謝の思いが出てくるはずはありませんでした。そのように感謝も捧げられず、静かにしていましたが、そこの信者である農村の人たちが来て、恩恵に酔って跳びながら感謝を捧げるのを見て、恵みを受けました。

 「主われを愛す……」などのような賛美歌を歌う時も、私たちは早く歌いますが、その人たちはまるで地球をぐるりと回すかのように、ゆっくり歌いました。とにかく、自分の心の中から湧き出て行う時にはすべてのことが嬉しく、多くの恵みを受けることができたのです。私もしばらくすると、次第に恩恵を受けるようになりました。

 そうしてある日、私は伏して祈祷をするようになりました。夜通し自分の罪を告白し、泣きながら祈りました。その翌日、街に出ると「目のはれた人がまた来た」と笑われるほど、熱心に祈祷し、泣いたのです。そして鉄山に行っても、新イエス教会にいた時と同じように、絶対絹の服は着ませんでした。韓国で作られ、私たちの手で織った木綿の服だけを着ました。そうすると心が楽だったのです。常にそういう生活をして過ごしました。そして、何日かしてなされることを見ると、「なるほど新しい主である」と言える思いがするほど、そのハルモニは、受けた恵みを行いでもって表していました。

 しかし私は、確実な喜びを感じるまでは、新しい主であるというハルモニを見たくもなく、信徒たちにも会いたくなかったので、静かに祈祷していました。すると、ハルモニが出てこられ、「順愛、今日あなたはどうしてご飯を食べないのか」と言われたのです。そこで私は、「きょうはご飯を食べたくありません。祈祷をします」と答えました。すると、「このような尊い娘がどこにいるだろうか」と言いながら、さすってくださり、また祈祷してくださって入っていかれました。

 そうされると、なお申し訳なく思われました。私はもどかしくて仕方ないのに、そうまでしてくださるので、なおさら申し訳なく思ったのです。それで、さらに熱心に祈りました。過去に私が信仰生活をしていたといっても、誤ったことが多かったのです。それらのことや、幼い時のことをすべて悔い改めて、涙で祈祷すると、心が少しすっきりしました。さらにイエス様のあらゆることを考えながら慟哭し、涙で祈祷したので、胸が一層すっきりしてきました。

 そして礼拝を捧げたら、その時に初めて心に喜びが湧いて、感謝を捧げたくなりました。そこで他の信徒たちと一緒に腕を動かしながら感謝を捧げてみようと思って、そうしてみると、腕が自然に他の人たちと同じように動いて「生命の自由を得た」と感謝を捧げることができました。新しい主がそれを見られて、「これでやっと解決して、喜びが訪ねてきたね」と言われました。

 その時から、感謝を捧げながら、ずっと聖主教を信じたのです。そして、新イエス教会を離れました。3年目に大きなことが起こるものと思っていたのに何も起こらず、そのまま信じるしかなかったので、新イエス教会にとどまっている必要がなくなったのです。私は、さらに進み続けなければならないからです。そこで、新イエス教会とは縁を切って鉄山に通い始めました。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より