韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

恩恵の火がつき始めた新イエス教会 -洪順愛大母様の証(2)

 昼夜10里を歩いて足がはれ、松葉杖をついても切なく、これ以上伝道できないのが惜しいほどの思いでしたが、帰ってみると、不思議に力が抜けてしまうのでした。

 ところが、新イエス教会が建っているではありませんか。新イエス教会は、黄國柱氏と李龍道牧師から恵みを受けた人たちでつくられており、既成教会からは異端として追われた教会だったのです。その教会に行く人々は、聖霊の火を多く受ける人たちでした。私は、新イエス教会は良い教会だと感じました。そして、新イエス教会で、これから新しく始めなければならないと思いました。

 新イエス教会の人々の中には、牧師、長老、執事たちが多くいました。李チョンヒョン氏という方がおられましたが、恩恵の火をとても多く受けました。私たちは昼夜集まって祈祷しました。その方のみならず、すべての人が聖霊の火を受け、とても熱烈な信仰生活を送りました。

 彼らがどれほど熱烈に信仰生活をしたか、すべてを語ることはできません。「真っ白に洗う」という歌を歌いながら、昼夜泣きました。「どうして罪がこのように多いのか」と昼夜慟哭したのです。また昼夜喜んで、走り回ったりしました。北朝鮮は、とても寒いのです。冬でも、いつ夜が更けたのか、いつ昼が来たのかも分からず、夜であればオーバーコートをかぶって祈祷しました。

 私も新イエス教会に行ってからは、毎日泣きました。イエス様が私の罪のために十字架を背負われたと考えては慟哭し、過去、幼いころに友達と遊んでいて、誰かを少し憎んだりしたことが思い出されれば、良心の呵責が少しも残らないように清くしなければという思いから、慟哭したりしました。そのような毎日だったのです。

 そのように熱心に信仰生活をしていけば、既成教会の牧師、長老たちに何か大きなことが起こるだろうと思っていました。天地が開闢して、摂理を知らない牧師、長老たちはすべて大きな懲戒を受け、死んで倒れてしまうか、そうでなければ、みんな悔い改めると思ったのです。ところが、3年過ぎても静かなままで、何事も起こりませんでした。そのため人々は、「特別のことはない。今は既成教会式に信じるしかない」と言いだしました。みんな力が抜けてしまったのです。

 しかし、私はなぜか分かりませんが、こうしていてはならないという思いがしました。新しいことというのは、やってみて途中で止まってしまうのではなく、そこからさらに進めていかなければならないと思ったのです。そうして、私の心に火がつき始めました。しかし、思いはとても切なかったのです。ここに留まることなく、先に進まなければならないのですが、だからといって、もっと進める道があるようでいて、その道が見えないのです。これは大変なことになったと思いました。新イエス教会の信徒たちと夜通し話をしても、心がすっきりしませんでした。それでも、「これではいけない。李龍道牧師はあのように火を起こしながら太陽のような火の固まりとなり、黄國柱氏の妹はといえば、4歳になる幼児まで背負って伝道し、すべての人々に感銘を与え、新しい役事を起こしたのに、このように3年ぐらいで終わるのではなく、これをもっと続けなければならない」と思いました。そして、どうすればいいのかと一生懸命考えました。

 

「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より