韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

人間の行くべき生涯路程⑥

人生が行くべき最高の道

 堕落とは、悪魔の愛を中心とし、悪魔の生命体と血筋を受け継いだことです。偽りの父母から生まれたのです。ですから、この血筋を改造しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に改造しなければならないのです。そうするためには、接ぎ木をして3代以上経て、そこで結ばれる実が真のオリーブの木になって、本然の基準を身代わりするようになるのです。その時、初めて堕落した人間が本然の人間に復帰されるのです。そしてその時、救いの摂理の完成がなされるのです。

 このように神様と一致した愛を中心として、善なる父母の息子、娘にするために、神様がこの地上に救世主を真の父母として送るのです。救世主は、人類の血統を清め、本然の創造理想を実現するために来られるお方です。

 私たち人間は、誰でも最高になりたいし、神様の息子、娘になって、神様の王子、王女として王権を受け継ぐことのできる相続者になりたいという本然の欲望があります。しかし、他の血筋を受け継いだがゆえに、生まれながらも嘆かわしく、生きながらも嘆かわしく、死にながらも嘆かわしいのです。「人生は苦海だ」という言葉がここから出てきたのです。

 ですから自分の体と心の闘いをどのように中止させ、一つに統一させるかという問題が重要です。自分の体と心を一つにできなければ、南北統一も、世界統一も、そして霊界統一も自分とは何ら関係がなくなります。主体と対象は対応的な関係を結んだのちには、より大きいものを中心として一つにならなければなりません。男性と女性が対応して一つになったあと、より大きいプラスやマイナスになって、国の前に忠臣にならなければなりません。そして、これが再びプラスやマイナスとして世界的次元で聖人の道理に接ぎ木されなければならず、聖人の道理が再びプラスやマイナスになって、天の道理に接ぎ木されなければなりません。そのように聖子の道理を備えたのちにこそ、神様に接ぎ木することができるのです。

 ところが私たちは、発展を願い、大きいものを願い、高いものを願うというこのような原則において、自分が行くべき道が運命的に横たわっているにもかかわらず、その道を知らずにいます。本然的な天道の動きに対する対応的な反射として自分の心の欲望は作用していますが、その成就の道を知らずにいるために、人生が塗炭の苦しみの中で呻吟しんぎんしているのです。これを探すことができないがゆえに、世の終わりの日になれば、自分の生命を絶ってでもその道を探すために、自殺がだんだん増えていくのです。私たちは、何としてもこれを克服する道を求めなければなりません。

 人類は、世界の舞台で1番となることを願う前に、まず本然的アダムとエバの家庭で一番になるべきです。アダムとエバが神様の前に直系の王子と王女の立場を備えるようになれば、彼らは男性として最高であり、女性として最高になるのです。

 しかし彼らが堕落したことによって、彼らが占めるべき長子権の王子、長子権の王女の立場を失ったのです。これが人類歴史に恨として残りました。それで人類は、神様の愛を再び探そうと、最初の息子と最初の娘の立場を探していく人生の道を歩んできたのです。


韓鶴子総裁講演集」より