韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

真の父母「文鮮明先生み言訓読大会」③

 地球にも緯度、経度において零点基準があります。それが英国のグリニッジ天文台を中心として、零点になっています。いくら変わらせても、変わらないのです。そのような基準があるべきではありませんか。それがなければ、秩序の世界が形成されないのです。

 愛ももちろん神様がつくり得ると見ますが、その愛を所有するということは、1人では不可能です。2人で所有しなければなりません。愛は、神様も1人では見いだせないのです。それゆえ、その基準、測定原器とは何でしょうか。宇宙万象の存在世界だけでなく、永遠の世界ですべてのものを測定し得る基準、絶対的に一つしかないその原器とは何でしょうか。根本問題です。それが真の愛というものです。それで、愛は春夏秋冬、季節の変化に影響を受けません。

 皆さん、真理とは何でしょうか。真です。真とは何でしょうか。それ以上の基準として立てられないという位置に立ったものを「真理」と言います。ここに物理学の博士もいらっしゃるでしょうが、物理学を勉強するには、自然世界のすべての動きを知らなければなりません。それらは、漠然とは動きません。

 真理の中には、何がありますか。真理の中には、必ず東西南北の四方があるのです。真理があるときは、必ず環境があるのです。では、環境が先ですか、真理自体が先ですか。これが問題となるのです。環境が先なのです。

 私たち人間を見れば、どうですか。人間を中心として見るとき、真なる人間が縦横の標準にならなければなりません。「縦から見ても正しい。横から見ても正しい」と言える基準にならなければならないのです。

 縦横が一致してこそ、公式的法度上において、前後、左右、上下に差異がありません。同じです。これを、どこにもっていって合わせても、きっちりと合うというのです。東でも合い、西でも合い、北でも合い、南でも合い、地上世界でも合い、霊界でも合うというとき、「真である!」と言うのです。

 ところで、いくら大きくても、ミリメートルで測定してみると、残ったものが半ミリメートルにもならなかったとしても、これは全部否定するようになります。不完全なのです。そのような何かがなければならないのではないですか。測定する基準がなければならないのです。

真と真の愛

 皆さん、今世界には50億の人類が暮らしていますが、この地球村に暮らす人たちの先祖たちは、どれほど多く地上で生きては死んだでしょうか。少なくとも現在、暮らしている人の何百倍、何千倍の人たちが生きては死んだでしょう。では、その人たちの中で、人類が願う真なる人が何人いたでしょうか。「真なる」ということは、千年前も、今も、いつでも真です。それと同様に、私たち人間において、千年、万年、億万年変わり得ない色をもった、そのような真の男がいるでしょうか。これが問題です。そのような真の女がいるでしょうか。どう思いますか。

 宗教界では、人間は堕落したと見ています。もちろん、背景が異なる宗教もありますが、全部救いを受けるために、価値のある新しい人間を探していっています。それは、どういう意味でしょうか。真なる本然の人間、真なる本然の人間像に及ばなかったために、それをいつも追求するのです。それは、千年前も、何億年前も、今も同じです。今後も人類が存続するいかなる環境、いかなる時代を問わず、それを追求するようになっています。

 皆さんも、その真なる人を探しているのです。真なる男、真なる女を探しているのです。有史以来、生命をもって生まれた男女は、自他を問わず、そこに首をかけて考えるようになっています。それゆえ、部落で暮らすようになれば、その部落で一番の真なる人になろうとするのです。


韓鶴子総裁講演集」より