韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

祝福と永生①

文鮮明先生み言訓読大会」
1998年2月23日、神奈川大会、秦野文化会館
       24日、北海道大会、テルメインターナショナル札幌
       25日、東北大会、ホテル瑞鳳
       26日、関東大会、千葉ポートアリーナ・ホテル
       27日、中部大会、愛知県体育館
       28日、関西大会、神戸市ワールド記念ホール
     3月 1日、北陸大会、金沢JALホテル
        2日、四国大会、高松市マツノイパレス
        3日、中国大会、広島市郵便貯金ホール
        4日、九州北部大会、福岡市ホテル・シーホーク
        5日、九州南部大会、熊本市ニューオータニ熊本ホテル
        6日、東京大会、大田区体育館


 尊敬する内外の貴賓の皆様、各界の指導者の皆様、「世界平和家庭連合」、「女性連合」、そして「青年連合」の皆様、新しくやって来る2000年代を迎え、準備と再生日と、希望の出発を決意するために、私たちは集いました。きょう、この訓読大会を通じて、「祝福と永生」についてお話しできることを、無限の喜びと考えます。

 世界の人類は、末世に住んでいます。家庭が壊れ、父、母、子女が怨讐になったりしますが、なぜそうなのでしょうか。真の愛がないためです。最も重要なことは、永生のこと、霊界の存在について知らないからです。

 永生することを確信すれば、「罪を犯しなさい」と言っても犯しません。「自己中心に生活しなさい」と言っても、そうしません。これを知らなければ、キリスト教やいかなる宗教を信じても、絶対に天国、神様の理想世界には行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければなりません。

 永生問題と連結されなければ、社会革命も不可能です。現在よりも疲弊し、没落した環境に陥れば、誰もそこに行こうとはしません。

 永生問題、永遠なる生命の問題においては、環境的なすべての条件は克服できます。それゆえに、宗教は偉大です。永生問題とつながっています。永生することを確信すれば、自分の家族を導きます。

 今までの宗教は、思想界を含めて環境の中で習慣性として、現在の文化の背景となったのをすべて消化できずにいます。永生という概念がなかったためです。

 今まで信仰してきたキリスト教もそうです。末世になって、環境が変われば変わるほど、すべてがかき回されてしまいます。なぜなら、永生の概念がないからです。永生に自信がありません。

 神様の存在を知らないのです。命を懸けて環境を越えられるかといえば、四方を見回しても、現在の生活方法に流されて、その道へと陥っていくのです。

永生問題を知るべき理由

 信仰の道は、今の肉身生活の準備ではありません。永遠なる世界のための準備であるという信念さえもてば、そのままにしておいてもかまいません。人は、時がたち、40歳、50歳を過ぎれば死が近づくために、永生について深刻になります。

 一般の愛は、年を取るにつれて希薄になりますが、永生の概念さえあれば、年を取ればだんだん深刻になっていきます。それゆえに、真なる宗教理念だけが、これからの世界を収拾することができます。邪悪な環境の中で、乱れた変化がどれほど多いでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変化する環境を貫いて越えられるし、いかなる悲劇がぶつかってきても何一つ問題になりません。

 真の愛で、神様は相対であるアダム、エバをパートナーとして造ったのです。それで、その相対として生きなければなりません。それを言葉だけでなく、実感し体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大であるかを知れば、「この道に行くな」と言っても行くのです。

 それで常に生活の中で力を注ぐべきことは、いかに永生の概念をもつかということです。これさえもてば、すべては解決です。理論的にこの概念が的中すれば、心に強く響き、体まで同じ基準で一つになれる人は、青少年です。

 16歳以前は、アダム、エバが堕落する前ですから、本性の基準が生きています。堕落前の本性の基準を、100パーセント活用できる時でもあります。それゆえ、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と不可分な関係が分かるようになります。そうするには永生の概念を、常にもたなければなりません。


韓鶴子総裁講演集」より