韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

祝福と永生⑤

真の愛と直結した永生

 私たちは永遠、永生を願います! 永生を願うのに、変わらないものは何でしょうか。真の愛です! 他のものは、みな変わります。環境的に変わるのです。それではなぜ、真の愛は変わらないのでしょうか。それは、すべての生命力の中心であるからです。また、真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めているからです。中心は、その周囲がすべてなくならない限り、なくなることはありません。真の愛は、宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残れるのです。

 真の愛というのは何でしょうか。皆さんが結婚する時、相手は自分より優れていることを願うでしょう。自分の子女が、自分より優れていることを願わない人が、どこにいるでしょうか。それは、誰に似たのですか。神様に似ているのです。絶対的な神様が人類の父であるなら、その父が行わないことを、その子女に「必ず行え」と命令することができますか。それはできません。神様も、真の愛の相対は、自分より優れることを望むという原則から見ると、人間の価値は最大です。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。

 それで、皆さんの心は最高のものを願うのです。それは、不可能なことではありません。堕落しなかったなら、万人平等に可能なことです。天上の高く貴い立場から、この宇宙を見つめ、管理、主導するようになっているのであって、他の何かを見つめ、服従するようにはなっていません。皆さんの心は解放されています。誰の支配をも受けたがりません。これは万民平等です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天国の宝座に自由に行けるのです。神様の友となれるのです。

 真の愛のゆえに、人間を造ったというときは、永遠、絶対、永生される神様であるために、その真の愛に一致した人間が、永生するというのは自然な論理です。それで永生しようとすれば、その真の愛の圏内に住まなければなりません。

 真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程からすべての目的が、真の愛を中心として完成されるのです。過程を通して結果が出てきます。自分の心と体の完成は、真の愛によって根本的に可能です。無限の根本、原因から過程、それによって理想の結実を結ぶのは真の愛しかありません。真の愛によって神様も永存されるのです。

 永生の環境をなすには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏は、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければなりません。

神様、永生、真の愛を知るべき

 皆さんは、神様が霊界のどこにいらっしゃるかを、はっきりとは知りません。皆さんは、神様の絶対的なセンター、愛のセンターという観念を、はっきり知らなければなりません。その愛の力は、最も早い、真の愛の力であり、それは直短距離を通ります。

 親愛なる会員の皆様。なぜ、文鮮明先生がこのことを教え、強調するのでしょうか。知っているからです。神様を知り、永遠なる世界を知っていれば、自分勝手な生活はできません。第1に、神様を知らなければなりません。第2に、永生を知り、第3に、真の愛を知らなければなりません。これは投入によるものです。100パーセント以上投入するところに、永生があります。真の愛をもたなければ、永生はありません。永生できない人は、神様に会うことはできません。

 今後の世界をいかに収拾しますか。第1に利他主義、第2に真の愛、第3に永生です。これで世界が収拾されます。これの反対は、利自(利己)主義です。サタン側と通じるのです。真の愛とは何でしょうか。自分の生命以上に、投入しなければなりません。レバレンド・ムーン(文鮮明先生)がアメリカに行って、生命と財産と統一教会のすべての精誠を込めたでしょう。ここから、真の愛が成立します。真の愛が成立しなければ、永生はありません。

 なぜでしょうか。皆さんの悪なる生命の起源は、サタンの血統を受け、サタンに属するようになったのです。愛も、サタンの愛です。それで、聖書で「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」というのです。ここで、心を尽くし、精神を尽くせというのは、生命までも捧げなさいということです。これが第一の戒めです。

 第2の戒めは、「自分を愛するように隣り人を愛せよ!」というのです。すなわち、命を懸けて、真に愛せよというのです。生命を投入しなければなりません。なぜでしょうか。命を懸けなければ、第1に、サタンを屈服することができません。第2に、サタンの環境から抜け出ることができません。第3に、サタンの血統から脱することができません。この3つです。サタンの環境は、抜け出ることができるとしても、サタンの血統は、どうすることもできません。真の愛は、生命を超越するのです。


韓鶴子総裁講演集」より