韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

祝福と永生③

なぜ永生するのか

 神様は、人間をいかなる存在として造ったのでしょうか。神様の絶対、唯一の価値をもつ、真の愛の相対者として造りました。人の命の価値は、どれほどでしょうか。お金で計れる無価値な人間ではなく、神様の前にあっては、宇宙と取り替えることのできない、高貴なる価値をもっています。真の愛の相対圏をもって男性を造り、女性を造ったという、驚くべき事実を知らなければなりません。

 人間は、真の愛から生まれ育ち、生きて、死んでいきます。しかし、なくなってしまうのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一であるので、その対象的な真の愛の立場に立つ時には、永生するのです。永生という理論が、ここから出発します。生命から始まるのではありません。

 今日、この地上で最も真なる人とは、どのような人でしょうか。神様と内外共に一体となって、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人です。そのような人々が、神様と共に生活することを、真の人生の道だといいます。

 人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の立場にいれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の子女となり、神様と私が一つになるので、宇宙は私の所有となります。

愛する会員の皆様。

 神様にとって、最も愛する大切なものがあるとしたら、それを1日、10年、100年間用いたのちに、投げ捨てるように造ったのではありません。永遠に、共にあるように造られたのです。人間も同様です。人間が生まれて死ねば、終わりではなく、永生します。なぜでしょうか。人間は、絶対者であられる神様が、真の愛を中心として喜ぶ対象であるからです。

 皆さんは、漠然とではありますが、永生を願っています。大切なものは避難する時、それをもっていきます。そして、それを誇りにします。それを1日、2日誇って、やめるのではありません。自分が死ねば、それを後代に永遠に残すことを願います。

 それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であれば、その方が愛することのできる対象も永遠でなければなりません。それゆえに人々は、昔も今も永生を願います。それで、絶対者であられる神様は、永生する価値をもつ、愛する子女を探すのです。

 私たち人間は、神様から造られた傑作品として、神様に似るように造られました。神様が永遠であられるので、私たちも永遠なる性稟が必要です。ですから、私たちの心は老けないのです。人は永生することによって、傑作品としての存在価値をもつことができます。人間は霊的存在なので、永生しなければなりません。


韓鶴子総裁講演集」より