韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

救援摂理史の原理観⑤

 当時の法によって、容認されるはずもなく、また、常識でも考えることのできないことを、マリヤが成し遂げなければなりませんでした。3人が全部霊的に感動したのも、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったためでした。神様の息子はたとえ着地したといっても、サタンの世界の中で無事に育ってみ旨を成し遂げるためには、保護されるべき囲いが必要なのです。神様はザカリヤの家庭の3人に、その基盤となってくれることを期待されました。3人が神様の息子を保護し、侍ることにどのように専念し、どれだけ長い間一つになったかについては、考えるべき点がたくさんあります。

 聖書には「マリヤは、エリサベツのところに3カ月ほど滞在してから、家に帰った」(ルカ1・56)と記録してあります。その後、聖書で見る限り、マリヤとエリサベツとザカリヤは、互いに行き来した記録がありません。ここからマリヤとイエス様の困難が始まります。ザカリヤ家庭は、最後までイエス様の囲いにならなければなりませんでした。少し過ぎて、ヨセフは、マリヤが子供を妊娠した事実を知るようになります。

 この時、彼の衝撃がどれほど大きかったでしょうか。愛する婚約者のマリヤが自分とは何の関係もない状態で、3カ月間どこかへ行って帰ってきた時には子供を妊娠していたのですから、ヨセフがマリヤに、胎内に誰の赤ん坊を身ごもっているのかを追及するのは当然なことでした。

 その時、もしマリヤが正直に話してしまったなら、どんなことが起こったでしょうか。もし明らかにした場合には、一族が滅亡するようになるのです。ですからマリヤは、ただ「聖霊によって懐胎した」とだけ話したのです。マリヤのおなかが膨らんできて、周囲の人たちも妊娠したことが分かるようになりました。その時、ヨセフが「自分は知らないことだ」と言ったならば、また、どうなったでしょうか。ヨセフは、神様の啓示を信じ、妊娠が自身の責任であると擁護した義人でした。

 これによってマリヤは、婚約期に妊娠したという嘲笑は浴びたとしても、石を受けて死ぬことはなかったのです。マリヤを愛したヨセフは、初めはこのようにマリヤを守ってあげました。しかし、ヨセフの心の底には苦悶がたくさんありました。特に、生まれたイエス様を見つめるヨセフは、その父親に対する疑問と関連し、心の中の苦痛を頻繁に経験するようになりました。イエス様が大きくなると同時に、ヨセフとの関係において心情的な距離が生まれるようになり、このことによって家庭に頻繁に紛争が起こったことは、間違いのない事実です。こうしてイエス様は、私生児の立場で、ザカリヤ家庭の保護も受けられず、また、ヨセフとも難しい条件で、心情的に途方もなく寂しい立場で育ちました。メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成すにおいて深刻な障害の要因であることを、独りもどかしく思いました。


エス様に絶対的に侍っていてこそ

 メシヤは、真の父母であり、その使命のためには実体の新婦をお迎えにならなければなりません。天使長がアダムと兄妹のように育ったエバを、偽りの愛で堕落させた立場を、根本的に復帰すべきイエス様であられます。したがって、アダムを身代わりして神様の息子として来られたイエス様は、天使長型の妹を妻として迎えなければなりません。彼女がまさしくザカリヤの娘、洗礼ヨハネの妹なのです。サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成されるためには、絶対的な信仰によって形成された保護基台がなければなりません。不幸にもイエス様の周辺では、このような基台がみな崩れてしまいました。

 もし、ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵のもとで、初めにもった絶対的な信仰をもち続けていたなら、状況は全然違っていたことでしょう。彼らが責任を果たしたならば、マリヤは、3カ月後にその家を出たとしても、継続的に彼らと行き来し、相談したはずです。ザカリヤ家庭は、イエス様の誕生ののちにも、地を代表して最も先頭に立ってメシヤを保護し侍りながら、証しすべき人々として神様が選んだ家庭です。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、この上ない精誠を込めて侍るだけでなく、さらにまた、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従ったはずでした。

 また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じ救われるように導く責任を果たしたはずです。しかし、不幸にも、ザカリヤも、エリサベツも、洗礼ヨハネも、イエス様を神様の息子として証しただけであって、侍り従った実績は何一つありませんでした。

 尊敬される祭司長のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つようになることにより、かえってイエス様の行く道を難しくしてしまいました。民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い、人間的な考えに流れたときに、イエス様が願われた新婦を迎えることを助けるはずは絶対になかったのです。次に考えるべき点は、ヨセフとマリヤの関係がイエス様に及ぼした影響です。


韓鶴子総裁講演集」より