韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

真の家庭と私③

宗教の目的

 私たちの心と体を見るとき、体は地獄の基地になっており、良心は天国の基地になっています。この2つの世界の分岐点をもっている人間であることを知りませんでした。

 このような立場に立っている私たち自身を見るときに、体が心を引っ張り回すのです。体が心を自由自在に歴史を通じて引っ張り回したのです。もし、良心が強ければ、自然と天に帰っていくので、世界は既に天の前に立つことができたはずです。また、肉身が良心を引っ張り回すというのは、堕落する時にサタンと関係を結んだ偽りの愛の力が、堕落する時の良心の力より強かったということです。

 ですから、神様はこのようなことをよく知っているために、堕落した人類をほっておくことができず、この体が良心を引っ張り回す力を弱める作戦をせざるを得ないのです。このように、歴史的に天が働くその救援的な体制を立てたのが宗教です。

 全世界の文化圏が異なる背景に従って、様々な宗教を立てて、体が心を引っ張り回すのをどのようにして弱めるのかというのが宗教の目的だということを、今まで宗教を信じる信仰者たちは知らずにいたのです。堕落がなかったなら、宗教は必要ないのです。誤ったので、これを修正するために宗教が必要だったのです。ですから、神様は宗教を通して何をしようというのでしょうか。心を引っ張り回すこの体を弱めようとするのです。

 皆さんは、宗教を信じることによって救われ、キリスト教を信じることによって天国に行き、仏教を信じることによって極楽に行くと思っています。しかし、天国は神様の真の愛を中心として、一つになった子女が入るようになっています。天国に入ることのできるアダムとエバの家庭は、神様の血族であり、神様の愛を中心とした家庭であらざるを得ないのです。そのような家庭が入る所が天国だということを、今まで誰も知りませんでした。

 ですから、良心の力を強化するためにこの体を弱めなければならないのです。良心を解放させ、良心が体を自由自在に引っ張り、堕落しなかった本然の神様の愛の懐に帰らなければならないのです。

 では、宗教がすべき内容とは何かといえば、体が一番嫌うことを提示することです。体が嫌うのは断食をせよ! そして次には奉仕をせよ! そして犠牲になれ! それだけではなく、のちには祭物になれ! 祭物は血を流すようになっています。生命を捧げられなければならないという話です。

 ですから、聖書で、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と逆説的な論理を教えたのも、肉身の欲望のまま生きれば地獄に行くのであり、肉身の欲望を抑制して良心に従っていけば天国に行くという話です。この体を完全に屈服させ、良心が絶対的な主体の立場に立つようになれば、私たちの良心は無限な欲望と無限な希望をもつようになっているのです。

 今までの歴史の中で数多くの宗教があり、数多くの宗教指導者たちがいましたが、彼らは体を完全に占領し、無の状態に立って、良心をもって本然的基準で天と相対できる立場の解放された人間になれませんでした。

 私たち堕落した人間は、偽りの愛の根を中心として、野生のオリーブ(渋柿)になってしまい、真のオリーブ(甘柿)になれませんでした。神様の真の愛を中心として根を張るべき人間が、悪魔の愛を中心として根を張ったために、野生のオリーブになったのです。この事実に対して、どのように清算すべきでしょうか。きょう現在、生きている私たち人類の解決すべき重大な、宿命的な課題として残っているのです。


韓鶴子総裁講演集」より