韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

腹中教の役事が始まる -洪順愛大母様の証(6)

 そのように3カ月、祈祷して過ぎたある日、許ホビン氏が早朝に伏して祈祷していると、急におなかから動きが起こり、突如として起こされたのです。そうして主が「お母さん!」と呼ばれたというのです。そこで、「私は、お母さんになることはできません。私のような卑しい女が、どうして主のお母さんになることができますか」と言いながら、首を左右に振りました。「それでは、何と呼べばいいのか」と言われるので、彼女は本当に率直な人ですから、「率直に申し上げて、この世で最も恐ろしいのは夫婦生活です」と答えたそうです。そうすると主が「そのとおりだ、あなたの言うことは正しい。それでは、私を先生とし、あなたを奥様としよう」と言われました。その時から主を先生と呼び、許ホビン氏を奥様と呼んだのです。その時から、主が許ホビン氏の体に臨まれ、役事し始めました。これが「腹中教」の起こりです。主が体に臨まれて直接み言を語ってくださるのですが、いくら霊通したとしても、これ以上ぴったり一致した霊通はありませんでした。草創期に私たちの先生が一人一人に対して、自ら毎日講義してくださったと同じように、いつも一緒にいながら、これからなされることや、イエス様に関することを語ってくださいました。

 ある日、何を言われるかと思うと、「あなたは春香(『春香伝』の主人公)の話を知らないか。私が昔話を一つしてあげよう」と言いながら、春香についての話をずっとしてくださいました。最後に、「あなたも春香のように固く操を守って、最後まで行きなさい」と励まされるのでした。すると許ホビン氏は、「ああそうですか。それならば私も絶対にそういたします」と答えたそうです。

 そして次に、主がユダヤの国に来られたことについて語ってくださったのです。「私が神の息子であったから幸いだったのであり、マリヤが当時、私を産んで、真冬に布に包んでそのまま置いたために、まかり間違えば凍え死んでしまうところだった」と言われたそうです。「神の息子だったから凍え死ななかったのであって、そうでなかったら、死んでしまっただろう」と言いながら、「言うに言えないほどの冷遇と蔑視を受け、食べる物も十分に食べられず、着る物も十分に着ることができなかった」と言われました。

 そのみ言を聞いて許ホビン氏は慟哭しました。「なんと主にこのような内情があったのか」と言いながら、大声で慟哭したのです。私たちもその話を聞いて、大きな感銘を受けました。ヨセフの家庭に生まれたメシヤであるイエス様をそれほどまでに蔑視したのかと。イエス様は、幼いときに勉強したくても十分できなかったのではないかと。

 イエス様がヨセフの大工仕事を手伝われたのは、ご自身が天の大きな使命をもって来られたためであったというのです。そして「新しい主、金聖道氏は真っ暗なこの地で根本問題を悟り、険しい茨の道をかき分けて行かれました。新しい主があなたたちに、イエス様がなぜ婚約したマリヤとヨセフの間に生まれなければならないのか祈祷して尋ねてみなさいと言ったではないですか」と言われ、どうしてそのようになったのかということについて語ってくださったのです。

 許ホビン氏は、そのみ言を聞いて本当に泣いたそうです。もちろん許ホビン氏の信仰の道、新イエス教会から感謝教を経てきた彼女の信仰の道は、多くの苦労をし、多くの涙を流し、多くの祈祷しながら歩んできた道ですが、イエス様のそのみ言を聞いて、今まで以上に泣いたというのです。肉身を顧みようともせず、家具までもすべて売って捧げ、まっすぐに信仰の道を歩んできましたが、イエス様についての話を聞いた時、本当に骨身にしみる慟哭となったのです。

 イエス様は、「ヨセフと婚約したマリヤの間に私が生まれたのは、エデンの園でアダムとエバが堕落することによって、天のお父様の大きなみ旨を成し遂げることができなかったために、私が再びその大きなみ旨をこの地上に成就するためだった。その時、マリヤとヨセフが私の言うことを聞いて従ったならば、天のみ旨がすべて成し遂げられたことだろう」と語られたといいます。

 その話を聞くと、すべての問題が解決しました。私たちもそれを聞いて、「なるほど、そうだっただろう」という思いがしました。そうして大声で慟哭し、多くの恩恵を受けました。

 イエス様は、すべてを詳細に教えてくださいました。イエス様は15歳になった年に、マリヤに天の大きなみ旨を語られたそうです。「私はアダムとして来たし、あなたは復帰されたエバの立場だから、2人で神の大きなみ旨を成し遂げよう」とおっしゃったというのです。ところが、マリヤはその言葉を聞きながら責任を果たせなかったのですから、イエス様の心情はいかばかりだったでしょうか。胸は張り裂けそうになり、何とも形容し得なかったことでしょう。

 エデンの園でアダムとエバが堕落した時、神が「アダムよ、どこにいるのか」と言われ慟哭されたことこそ、原理で教えられるように、言葉では言えないほど骨身にしみる慟哭ではなかったでしょうか。イエス様もマリヤの家庭を中心として神の大きなみ旨を成し遂げようとしたのに、マリヤが責任を果たせなかったとき、どれほど悔しくてたまらなかったことでしょうか。

 それでも忍耐したといわれます。じっと耐えて、マリヤの家庭から飛び出さず、義理の父、ヨセフの大工仕事を手伝いながら、さらに10年耐えられたのです。25歳になった年に、またマリヤに語られたそうです。その時、マリヤがイエス様のみ言を信じて従い、ヨセフが後押ししてくれたなら、イエス様のみ旨は家庭を中心として出発したことでしょう。このような大きなみ旨を抱いて語られたにもかかわらず、マリヤが信じなかったので、初めてイエス様はその家庭を飛び出したのです。

 ヨセフの家庭を出て、天のみ旨を成そうとされたのですが、そのイエス様に対してマリヤが、カナの婚宴の時、ぶどう酒がないのでおこがましく「ぶどう酒を作ってくれ」と言ったので、イエス様も唖然としたというのです。神のみ旨に逆らったマリヤに対して文句を言っても仕方がないという心情をもっておられたために、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」と言われたのです。


「真の母(韓鶴子女史)のまなざし」より