韓鶴子女史み言アーカイブ

韓鶴子女史が語られた至宝のメッセージ

祝福と永生⑥

真の愛と関係した死後の世界

 神様には、時間という概念はありません。それは永遠にアルファであり、オメガです。過去も、現在も、未来も同じです。そのようにしても、拒まずに作用を起こし、神様が安息できる元の土台とは何でしょうか。それが問題です。

 全知全能なる、神様の能力や知恵をもってしてもできません。真の愛のみが可能です。神様も「真の愛!」と言えば、「そうだ!」と言うのです。そのほかは、神様には必要ありません。私たちは、最終的にどこへ行くのでしょうか。霊界です。大概の人は、死後の世界であるといいますが、そうではありません。なぜならば、真の愛と関係をもっているからです。真の愛を中心として出発したのですから、自分がその立場に立っている時には、そこが正に霊界なのです。

 ですから、真の愛は偉大です。真の愛で、縦的な球形運動をすることによってのみ、上下、前後、左右が和合できます。縦横が和合されなければ、上下、前後、左右全体が和合できません。統一がなされません。真の愛においてのみ統一が可能です。それで、統一教会(現:世界平和家庭連合)が真の愛を中心とした統一理想世界を論ずるのも、原理観に一致した結論です。

 神様が、人間を導いてくださろうとするのです。神様も真の愛の呼吸をされます。神様も宇宙のリズムに合わせているので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。真の愛に永生があるのです。それで皆さんも、ここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏内に入って、さっと超えていけるのです。

 真の愛も呼吸をします。宇宙の脈拍がそうなっているので、男性も女性も、これを好みます。リズムが合った時、互いが真に愛さなければなりません。方向が違いません。すべてが神様を中心とした一つの方向です。

「祝福」の門を通過して天国へ

 霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は、自動的にリズムを合わせます。共通分母は何でしょうか。過去の人も、現在の人も、永遠性と同伴できる資格が何であり、人間世界で必要とするすべての欲望の要因とは何でしょうか。それは真の愛です。でたらめな愛ではなく、真の愛です。

 では、その真の愛とは何でしょうか。縦横を通して、90度にどこに合わせても、角度が合わなければなりません。五色人種、文化背景、各宗教の背景が違っても、この道を共に行くことができてこそ、それが正に真の愛です。

 今日、世界中に50億以上の人々が住んでいますが、統一教会でいう祝福の意味を知っている人は多くありません。「祝福」という言葉は、統一教会で始まった言葉であり、その言葉を中心として、今まで、祝福結婚行事を行ってまいりました。

 これから、人類はどこに行くのでしょうか。全人類は祝福の門を通らなければ、天国へ行くことはできません。数多くの人々がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も、祝福という門を通らなければ天国に行けません。

 こう言えば、キリスト教では、「統一教会のレバレンド・ムーンは、独善的な発言をする人」と不平を言います。そういうことは、彼らの言うことであって、統一教会でいう祝福結婚は、堕落した人類が必ず行くべき道なのです。どんなに反対しても、霊界と肉界を連結して、天国に入らなければなりません。重大な問題は祝福結婚です。

 今日、一般の宗教を信じている人は、「救い」といえば、個人の救いを考えます。よく信じれば自分は天国へ行けると信じている立場です。しかし、本来の神様の理想から見ると、天国は1人で行けるようになっていません。


韓鶴子総裁講演集」より

祝福と永生⑤

真の愛と直結した永生

 私たちは永遠、永生を願います! 永生を願うのに、変わらないものは何でしょうか。真の愛です! 他のものは、みな変わります。環境的に変わるのです。それではなぜ、真の愛は変わらないのでしょうか。それは、すべての生命力の中心であるからです。また、真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めているからです。中心は、その周囲がすべてなくならない限り、なくなることはありません。真の愛は、宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残れるのです。

 真の愛というのは何でしょうか。皆さんが結婚する時、相手は自分より優れていることを願うでしょう。自分の子女が、自分より優れていることを願わない人が、どこにいるでしょうか。それは、誰に似たのですか。神様に似ているのです。絶対的な神様が人類の父であるなら、その父が行わないことを、その子女に「必ず行え」と命令することができますか。それはできません。神様も、真の愛の相対は、自分より優れることを望むという原則から見ると、人間の価値は最大です。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。

 それで、皆さんの心は最高のものを願うのです。それは、不可能なことではありません。堕落しなかったなら、万人平等に可能なことです。天上の高く貴い立場から、この宇宙を見つめ、管理、主導するようになっているのであって、他の何かを見つめ、服従するようにはなっていません。皆さんの心は解放されています。誰の支配をも受けたがりません。これは万民平等です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天国の宝座に自由に行けるのです。神様の友となれるのです。

 真の愛のゆえに、人間を造ったというときは、永遠、絶対、永生される神様であるために、その真の愛に一致した人間が、永生するというのは自然な論理です。それで永生しようとすれば、その真の愛の圏内に住まなければなりません。

 真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程からすべての目的が、真の愛を中心として完成されるのです。過程を通して結果が出てきます。自分の心と体の完成は、真の愛によって根本的に可能です。無限の根本、原因から過程、それによって理想の結実を結ぶのは真の愛しかありません。真の愛によって神様も永存されるのです。

 永生の環境をなすには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏は、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければなりません。

神様、永生、真の愛を知るべき

 皆さんは、神様が霊界のどこにいらっしゃるかを、はっきりとは知りません。皆さんは、神様の絶対的なセンター、愛のセンターという観念を、はっきり知らなければなりません。その愛の力は、最も早い、真の愛の力であり、それは直短距離を通ります。

 親愛なる会員の皆様。なぜ、文鮮明先生がこのことを教え、強調するのでしょうか。知っているからです。神様を知り、永遠なる世界を知っていれば、自分勝手な生活はできません。第1に、神様を知らなければなりません。第2に、永生を知り、第3に、真の愛を知らなければなりません。これは投入によるものです。100パーセント以上投入するところに、永生があります。真の愛をもたなければ、永生はありません。永生できない人は、神様に会うことはできません。

 今後の世界をいかに収拾しますか。第1に利他主義、第2に真の愛、第3に永生です。これで世界が収拾されます。これの反対は、利自(利己)主義です。サタン側と通じるのです。真の愛とは何でしょうか。自分の生命以上に、投入しなければなりません。レバレンド・ムーン(文鮮明先生)がアメリカに行って、生命と財産と統一教会のすべての精誠を込めたでしょう。ここから、真の愛が成立します。真の愛が成立しなければ、永生はありません。

 なぜでしょうか。皆さんの悪なる生命の起源は、サタンの血統を受け、サタンに属するようになったのです。愛も、サタンの愛です。それで、聖書で「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」というのです。ここで、心を尽くし、精神を尽くせというのは、生命までも捧げなさいということです。これが第一の戒めです。

 第2の戒めは、「自分を愛するように隣り人を愛せよ!」というのです。すなわち、命を懸けて、真に愛せよというのです。生命を投入しなければなりません。なぜでしょうか。命を懸けなければ、第1に、サタンを屈服することができません。第2に、サタンの環境から抜け出ることができません。第3に、サタンの血統から脱することができません。この3つです。サタンの環境は、抜け出ることができるとしても、サタンの血統は、どうすることもできません。真の愛は、生命を超越するのです。


韓鶴子総裁講演集」より

祝福と永生④

創造主の永遠なる真の愛のパートナー

 永生の論理を、いかに見いだせますか。神様は、知恵の方です。もし、神様に愛の理念がなかったなら、神様は孤独単身で、喜怒哀楽を感じることができないでしょう。

 絶対的な愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない深刻で悲惨な立場に立っています。永遠に、誰も慰めることができません。本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足されるのではありません。御自分の願いである、真の愛の理想的パートナーを再現させて、彼らを抱いてあちこちと移動しながら、もっと輝くように着飾って、さらに美しく誇りたいのです。全宇宙を、彼らのために造ったのです。

 大気圏が絶対低気圧圏になれば、高気圧圏が生じて、自動的に循環運動が起こります。神様は、真に知恵の王様です。なぜ、投入して忘れなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通して、永遠に回転が始まるので、永生の論理が設定されるのです。

 投入し、投入し、また投入するところに、永生の論理が展開されます。「ため」に生きることにおいては、滅びることはありません。小から大へと成長して、その大は次に内に入って、核となります。

 神様が絶対的な真の愛のパートナーを求めるとすれば、誰を立てるでしょうか。それは、間違いなく人間です。それで、「万物之衆唯人最貴」(万物の中で人間が最も貴い)という、言葉が出てきます。ここから、創造主の永遠なる真の愛のパートナーになった時、そのパートナーは永生するという論理が生じるのです。

 永生というのは、自動的な産物です。永生は、ここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生の論理をいかに立てるかという問題は、宗教で極めて大切なことです。男性、女性に永生があるのではありません。神様の真の愛に、永生があるという結論が出てくるのです。

真の愛でのみ救いが可能

 今日キリスト教徒たちは、「イエスを信じれば永生する」と言います。言葉では、素晴らしいことです。それならば、永生はどのようにするかと聞けば、「そのようにします」と言います。永生は、継続的な作用を続けるところにあります。その人生の道を永遠に行くのです。どのように永生するかと聞けば、皆さんはどう答えますか。イエスを信じれば永生し、救われるとは、とんでもないことです。真の愛によってのみ救われるのです。

 神様の創造原則から見れば、真の人だけが神様の真の愛の同伴者です。真の愛をもてば、永遠に生きるようになっています。真の愛の圏内に入れば、霊界や地上に生きる時に、自分がどこへ行って住むか、見ることができます。

 皆さん、大洋を航海する大きな船に、遭難する危険が生じれば、その中に住んでいたねずみが、全部ロープをつたって陸地へ逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎない動物も、未来の生死圏を判断することを知っているのに、万物の霊長である人間は、そうではありません。

 これは、堕落のゆえです。この堕落の環境をどのように脱ぐかという問題が、すなわち悪魔の愛と生命と血統から、いかに解脱するかによります。「解脱」という言葉は、抜け出るということです。完全に抜け出て、関係のない立場、自主的な立場に立つのです。

永生に必要な観念

 私は、永生し、真の愛を実践する人です。私がここで何かをしていても、工場で仕事をしていても、永生を延長させる材料です。永生を訓練し、永生を育てる訓練材料を生産することが、自分のやっていることであると思ってください。皆さんにとって、永生と真の愛は、永遠に必要なのです。


韓鶴子総裁講演集」より

祝福と永生③

なぜ永生するのか

 神様は、人間をいかなる存在として造ったのでしょうか。神様の絶対、唯一の価値をもつ、真の愛の相対者として造りました。人の命の価値は、どれほどでしょうか。お金で計れる無価値な人間ではなく、神様の前にあっては、宇宙と取り替えることのできない、高貴なる価値をもっています。真の愛の相対圏をもって男性を造り、女性を造ったという、驚くべき事実を知らなければなりません。

 人間は、真の愛から生まれ育ち、生きて、死んでいきます。しかし、なくなってしまうのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一であるので、その対象的な真の愛の立場に立つ時には、永生するのです。永生という理論が、ここから出発します。生命から始まるのではありません。

 今日、この地上で最も真なる人とは、どのような人でしょうか。神様と内外共に一体となって、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人です。そのような人々が、神様と共に生活することを、真の人生の道だといいます。

 人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の立場にいれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の子女となり、神様と私が一つになるので、宇宙は私の所有となります。

愛する会員の皆様。

 神様にとって、最も愛する大切なものがあるとしたら、それを1日、10年、100年間用いたのちに、投げ捨てるように造ったのではありません。永遠に、共にあるように造られたのです。人間も同様です。人間が生まれて死ねば、終わりではなく、永生します。なぜでしょうか。人間は、絶対者であられる神様が、真の愛を中心として喜ぶ対象であるからです。

 皆さんは、漠然とではありますが、永生を願っています。大切なものは避難する時、それをもっていきます。そして、それを誇りにします。それを1日、2日誇って、やめるのではありません。自分が死ねば、それを後代に永遠に残すことを願います。

 それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であれば、その方が愛することのできる対象も永遠でなければなりません。それゆえに人々は、昔も今も永生を願います。それで、絶対者であられる神様は、永生する価値をもつ、愛する子女を探すのです。

 私たち人間は、神様から造られた傑作品として、神様に似るように造られました。神様が永遠であられるので、私たちも永遠なる性稟が必要です。ですから、私たちの心は老けないのです。人は永生することによって、傑作品としての存在価値をもつことができます。人間は霊的存在なので、永生しなければなりません。


韓鶴子総裁講演集」より

祝福と永生②

一生と永生

 愛する会員の皆様。皆さんは、何歳まで生きられると思いますか。70歳、80歳までは生きられると思うでしょう。それ以前に死ぬとは考えません。自分は80歳とか、100歳になれば死ぬと思っていても、きょう、あす、死ぬかもしれません。食事の途中に、または今夜、帰宅して眠っている間に死ぬかもしれません。

 皆さんは、私はまだ若いから、これから少なくとも40、50年は生きられるという願いをもっているでしょう。そのことを神様から保証されていますか。皆さんはできるだけ短く、1年以内には死ぬと考えてみてください。そのような観念を、できるだけ短くもつほど幸福で、損をしないのです。この期間に、誠を尽くして準備をしなければなりません。そうすれば、その内容が、自分の永遠の生命の宮をつくるのです。

 それでは、その短い期間に神様を愛したことがあるでしょうか。神様を愛したいのに、そうできないのです。神様は、「愛しなさい」と言われます。この世に生きている間に24時間、精誠を込めて多くの人々の中で、一人でも多く神様の前に導いてください。そのように生きれば、それが永遠なる生命の財産となるのです。

 では、皆さんは何歳まで生きようとしますか。神様の命令で直ちに死の場に出されたなら、どのようにしますか。そうしたら、神様から褒められる何かを残さなければならないのに、自信がありますか。眠る時間も、食する時間も惜しまなければなりません。心配をする間もありません。

 一生と永遠について、その一生を短く見積もるほど価値があります。それで、個人、家庭、氏族をどれほど愛しましたか。どうして、個人、家庭、氏族を愛するのでしょうか。全人類を愛するための教材です。彼らを愛することは、全体を愛するための教材として愛するのです。これは絶対に、私たちの一生において損をしません。極めて知恵のある考えです。

永遠の生命を追求する人間

 永遠なる生命の世界を求めることが、信仰生活です。信仰は、永遠なる神様の愛を追求します。永遠なる生命と愛とを一致させるため、神様の喜びと私の喜びが出合って、一つの喜びとして感じられる決着点を見いだしていくのが信仰の道です。それで、信仰生活をする私たちが、どれほど前進的な愛と生命力をもって生きるかが、何よりも重要な問題です。

 私たちが、五官を通して感じる感覚の一切を統合して、この生命、真の愛と、どのぐらい関係を結んで生きるかによって、人間としての価値が左右されます。そこで、私たちが生命力と真の愛の心で、どのように対人関係を結び、社会生活をしてきたかを考えなければなりません。もし、そうでないとしたら、それは停止か後退です。

 人は、一生だけでなく、永生するのです。宗教は、地球からなくならないで、文化と風習が違うすべての環境を経ながら、世界的な版図を拡大してきました。それは、一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。

 人は、この世だけでなく、宇宙と共に生活しなければなりません。一生は、100年以内の短い期間ではありますが、それを限界として、そのままなくなってしまうのではありません。その限界線を克服すれば、全世界の生活を越え、超越した場において生存し続けるのです。

 そのような世界は厳然として実在しますが、たとえ、しないとしても、今まで苦痛の中で呻吟しながら生きる人類を同情し、助けなければなりません。そのためには、仮想的な永生論を主張し、仮想的な神様を中心とした理想国家の形態を推理していかなければなりません。そのような面からも、宗教が必要です。

 しかし、仮想的に推理された宗教理想であるということを知れば、誰が満足するでしょうか。「実在する」と断定しなければなりません。「実在する」ということは、私が決めることではありません。「実在する」ということは、永遠の昔から決められているのです。根本から「そうだ」と言えるところまで、明らかにしなければなりません。それで、皆さんの永生問題とともに、宗教問題を中心とした神様の問題まで、解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されています。


韓鶴子総裁講演集」より

祝福と永生①

文鮮明先生み言訓読大会」
1998年2月23日、神奈川大会、秦野文化会館
       24日、北海道大会、テルメインターナショナル札幌
       25日、東北大会、ホテル瑞鳳
       26日、関東大会、千葉ポートアリーナ・ホテル
       27日、中部大会、愛知県体育館
       28日、関西大会、神戸市ワールド記念ホール
     3月 1日、北陸大会、金沢JALホテル
        2日、四国大会、高松市マツノイパレス
        3日、中国大会、広島市郵便貯金ホール
        4日、九州北部大会、福岡市ホテル・シーホーク
        5日、九州南部大会、熊本市ニューオータニ熊本ホテル
        6日、東京大会、大田区体育館


 尊敬する内外の貴賓の皆様、各界の指導者の皆様、「世界平和家庭連合」、「女性連合」、そして「青年連合」の皆様、新しくやって来る2000年代を迎え、準備と再生日と、希望の出発を決意するために、私たちは集いました。きょう、この訓読大会を通じて、「祝福と永生」についてお話しできることを、無限の喜びと考えます。

 世界の人類は、末世に住んでいます。家庭が壊れ、父、母、子女が怨讐になったりしますが、なぜそうなのでしょうか。真の愛がないためです。最も重要なことは、永生のこと、霊界の存在について知らないからです。

 永生することを確信すれば、「罪を犯しなさい」と言っても犯しません。「自己中心に生活しなさい」と言っても、そうしません。これを知らなければ、キリスト教やいかなる宗教を信じても、絶対に天国、神様の理想世界には行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければなりません。

 永生問題と連結されなければ、社会革命も不可能です。現在よりも疲弊し、没落した環境に陥れば、誰もそこに行こうとはしません。

 永生問題、永遠なる生命の問題においては、環境的なすべての条件は克服できます。それゆえに、宗教は偉大です。永生問題とつながっています。永生することを確信すれば、自分の家族を導きます。

 今までの宗教は、思想界を含めて環境の中で習慣性として、現在の文化の背景となったのをすべて消化できずにいます。永生という概念がなかったためです。

 今まで信仰してきたキリスト教もそうです。末世になって、環境が変われば変わるほど、すべてがかき回されてしまいます。なぜなら、永生の概念がないからです。永生に自信がありません。

 神様の存在を知らないのです。命を懸けて環境を越えられるかといえば、四方を見回しても、現在の生活方法に流されて、その道へと陥っていくのです。

永生問題を知るべき理由

 信仰の道は、今の肉身生活の準備ではありません。永遠なる世界のための準備であるという信念さえもてば、そのままにしておいてもかまいません。人は、時がたち、40歳、50歳を過ぎれば死が近づくために、永生について深刻になります。

 一般の愛は、年を取るにつれて希薄になりますが、永生の概念さえあれば、年を取ればだんだん深刻になっていきます。それゆえに、真なる宗教理念だけが、これからの世界を収拾することができます。邪悪な環境の中で、乱れた変化がどれほど多いでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変化する環境を貫いて越えられるし、いかなる悲劇がぶつかってきても何一つ問題になりません。

 真の愛で、神様は相対であるアダム、エバをパートナーとして造ったのです。それで、その相対として生きなければなりません。それを言葉だけでなく、実感し体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大であるかを知れば、「この道に行くな」と言っても行くのです。

 それで常に生活の中で力を注ぐべきことは、いかに永生の概念をもつかということです。これさえもてば、すべては解決です。理論的にこの概念が的中すれば、心に強く響き、体まで同じ基準で一つになれる人は、青少年です。

 16歳以前は、アダム、エバが堕落する前ですから、本性の基準が生きています。堕落前の本性の基準を、100パーセント活用できる時でもあります。それゆえ、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と不可分な関係が分かるようになります。そうするには永生の概念を、常にもたなければなりません。


韓鶴子総裁講演集」より

救援摂理史の原理観⑥

 マリヤは、エバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係を保たなければなりませんでした。しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではあり得ません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、そののちにも性関係を結んではならないのが神様の願いでした。ヨセフは、マリヤに対して、イエス誕生ののちにもずっと愛の心をもち続けました。

 マリヤは、ヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。しかし、現実は、それを簡単には許しませんでした。本心では駄目だと思いながら、マリヤは、ヨセフと性的関係を結ぶようになって子女をもつことにより、エバの失敗を反復した結果となってしまいました。

 サタンは、これを条件として、彼らに侵入するようになりました。イエス様一人を残して、すべてサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエス様を守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟(洗礼ヨハネとその兄弟)も、カイン側の兄弟(ヨセフの子女)もすべてサタン側になってしまいました。人がサタンの侵入を受ければ、もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまいます。神様に対する確信と感謝を失うようになります。すべてのものを人間的に考えるようになります。

 これによりマリヤまで、イエス様が願われる結婚を助けられず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えられず、そして真の父母になれず、十字架の道を行かざるを得なかった直接的な原因になったのです。カナの婚姻の宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネによる福音書第2章4節)と言ったのも、最も貴い摂理の要請であるイエス様の新婦を迎える仕事をなおざりにし、遠い親戚の婚姻の宴を手伝おうとするマリヤを責めた心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイによる福音書第12章48節)と言われたみ言も、このような基準から理解しなければなりません。

 イエス様は、母マリヤからも、ザカリヤ、エリサベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探して、再び復帰摂理をなさろうと出発したのがイエスの出家でした。出家した

 イエス様は、行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ8・20)と嘆息されました。

 親族の基盤を失ったイエス様は、それに代わり得る基盤を探しに出掛けたのです。これがイエス様の3年路程でした。しかし、民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなって、サタンの侵入を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道に行かれるしかありませんでした。本来イエス様は、メシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されて新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂することができませんでした。それゆえ、再臨することを約束されました。

 きょう、このようにイエス様とマリヤに関する内容を詳細に明らかにするのは、これまで既存のカトリックプロテスタントの反対がたくさんありましたが、聖書でいうように「地上でつなぐことは、天でもつながれ、地上で解くことは、天でも解かれるであろう」という真理のとおり、イエス様とマリヤを解放させてあげるためなのです。

 再臨主は、イエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するために来られます。彼は、既にイエスの時まで神側が勝利した根本基台の上に臨在されます。

 すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上に正しく立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し出し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです。それゆえ、真の父母は血統を伝授する新しい結婚行事を通じ、全人類をして、神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、真の人として救援し、さらには真なる家庭を成して地上天国を建設なさるのです。

国際合同結婚式の意義

 それゆえ、再臨主は肉身をもって来られて、新しい血統関係を編成しようとするのであり、これが国際合同結婚式なのです。アダム一家庭で失われたものを世界大家庭圏で蕩減することにより、アダム家庭で完成すべき真の長子権、真の父母権、真の王圏を取り戻し、神様が主管なさる地上天国へと転換し、天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上・天上王圏時代に進入して、勝利と自由と幸福と統一の世界を復帰し、神様の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるようになるのです。これが救援摂理史の原理観です。

 皆様も近づく360万双の国際合同結婚式に参席し、神様と全人類の大きな希望である地上天上天国に入籍する幸せな家庭になるようお願いします。

 親愛なる各界指導者、そして御来賓の皆様! きょう、この意味深い集いに盛況を呈してくださった皆様に、いま1度、深く感謝を申し上げます。併せて、皆様すべてがこの歴史的な方向に一致して、平和世界建設に先駆者となってくださるようにお願いします。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にありますよう、お祈り申し上げます。ありがとうございました。


韓鶴子総裁講演集」より