人間の行くべき生涯路程①
「真の家庭世界化前進大会」
1999年2月11日、神戸大会、国際会館ハーバーランドプラザ
12日、高松大会、マツノイパレス
13日、名古屋大会、愛知県体育館
14日、大阪大会、池田五月山体育館
15日、広島大会、郵便貯金会館
16日、福岡大会、福岡サンパレス
17日、熊本大会、熊本県立劇場コンサートホール
18日、東東京大会、等々力アリーナ
25日、札幌大会、ルネッサンス・ホテル
26日、仙台大会、白石市文化活動体育センター
27日、福井大会、フェニックス・ホテル
28日、新潟大会、新潟市体育館
3月 1日、長野大会、ホテル国際
2日、千葉大会、千葉ポートアリーナ
3日、神奈川大会、小田原文化会館
4日、西東京大会、等々力アリーナ
高名なる紳士、淑女の皆様、「人間の行くべき生涯路程」という主題で進められるこの大会に、御来場いただき、心より感謝申し上げます。
今、全世界は大混乱の中で呻吟しています。個人では心身の紛争、家庭では青少年の淪落と家庭破綻、国家と世界の間に不信と戦争が絶え間なく続いています。ところで、この諸般の問題の解決は、神人愛一体理想を知ることによって克服することができます。
神様が人間を創造された目的
人間がなぜ生まれたのかという問題は、人類が歴史的に追究してきた根本的問題です。ある人は、自分の国のために生まれたと考え、ある人は、自分の父母のために生まれたと考えます。あるいは自分自身のために生まれたと考え、信仰者たちは、神様のために生まれたとも考えるのです。
しかし、神様が宇宙を創造なさった目的が人間だけのためであるとか、神様御自身だけのためであるという論理は成立し難いのです。人間が造られる過程に連結された様々な目的、すなわち神様が人間を創造なさった目的や天使が人間創造に協助した目的、万物が人間に投入された目的、そして人間が生まれたこと自体の目的などが、互いに違ってはならないのです。
全体がみな喜ばなければなりません。人間創造に関連した神様も喜び、天使も喜び、万物も喜び、そして人間自体も喜ぶことのできる、そういう共通の内容でなければなりません。それは、持てば持つほどうれしく、一度もてば永遠に手放したくない、そのような何かなのです。それは、外的な内容ではなく、極めて内的なものであり、目に見えないものなのです。知識やお金や権力のようなものは、人間が生きていくのに必要な付帯条件であるだけです。そのようなものは、すべて人間のためにあるものなので、人間には当然そのようなものを所有する権限があるのであって、そのようなものを所有するために生まれたとは考えることができないのです。
そのようなものは、みな流れていくものです。そのようなものは、自分と一時的な相対関係を結ぶことはできるかもしれませんが、永遠の相対関係を結ぶことはできないのです。
さらに、神様はお金が必要なのではありません。全能であられる方なので、お金はいくらでも作ることができます。神様は万物をつくるとき、原理原則を通してつくったがゆえに知識の根本でもあられます。そして神様御自身は、創造主として権力の主体であられるがゆえに、権力が必要でもありません。それは、人間の努力だけで追究できるものではありません。人間の努力では生命の根源を支配することはできません。自分の生命の動機や過程、そしてその生命の終末まで動かし得る、そのような何かでなければならないのです。
このように見るとき、それは真の愛しかないのです。人間は愛で生まれ、愛の道を行かなければなりません。そして死ぬときも、愛のために死ななければなりません。したがって私たちの人生を見るとき、生命より愛がもっと貴いのです。そして、それだけでなく、愛が生命よりも先なのです。したがって、愛のためには生命まで喜んで捧げるのです。
愛は、永遠なのです。小説や詩のような文学作品を見ても、すべて「不変の愛」、「永遠なる私のあなた」という表現が多く見られます。これは、私たちが瞬間的な愛、限られた時間内の愛を願うのではなく、永遠の愛を願うということなのです。
愛は、神様も微動だにできなくさせる権威をもっています。神様も、愛には弱いというのです。全能なる神様も、人間の愛の香りをかぐならば、満面に笑みを浮かべられるのです。神様も、愛の話が好きなのです。話だけでも好きなのに、実際に愛すればどれほど喜ばれるでしょうか。私たちの体の様々な器官も、愛という一つの目的を中心に生まれました。目は見るために生まれましたが、どのようなものを見るためかというと、共同のテーマである愛を探すために生まれたのです。鼻もにおいをかぐために生まれましたが、においの中でも愛の香りをかぐために生まれたのです。耳も愛の声を聞くために生まれました。私たちが聞く言葉の中でいくら聞いても嫌気がせず、好きな言葉は「愛している」という言葉です。これは若者も老人も同じなのです。
「韓鶴子総裁講演集」より